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マルコの福音書12:38-44 「心からのささげもの」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一5:16-18)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の箇所には、イエスが律法学者たちと一人の貧しいやもめの姿に目を留めて話をされたことが記されています。彼らの姿を通してイエスは何を教えられたのでしょうか。
1)律法学者の偽善
エルサレムの宮での宗教指導者たちとの論争のあと、イエスは宮にいた群衆に教えをされました。その中で、律法学者たちの間違った信仰のあり方を厳しく指摘しています。「律法学者たちに気をつけなさい」(38) と言って、彼らの「偽善的な」姿を示されました。「彼らが願っていること」は、「長い衣を着て歩き回ること」や、「広場であいさつされること」や、会堂や宴会で「上席や上座に座ること」だとあります(38,39)。彼らは人々から「先生」と呼ばれ、尊敬されることを何よりも願っていました。人からの評価を得ることに喜びを感じ、満足していたのではないでしょうか。また、「やもめたちの家を食いつぶし、見栄を張って長く祈ります。」(40)とあります。彼らは貧しいやもめたちに関わり、多額な献金を受け取るようなこともしていたようです。また、いかにも敬虔であるかのように振舞い、長い祈りをしていました。神に対しての心からの祈りではなく、人に聞かせるための祈りとなっていました。そんな彼らを、イエスは「偽善者」だと言って厳しく非難されたのです。
私たちは「偽善」ということはないとは思いますが、例えば、自分の信仰や行いが、いつしか人の目を気にするものとなってはいないか(人からの評価ばかりを求めてはいないか)、あるいは、人と比べて一喜一憂してはないか顧みたいと思います。人からどう思われるかよりも、神に対してどうあるかが大切なのです。
2)貧しいやもめの信仰
41節以降には「一人の貧しいやもめ」が宮で献金をささげる姿が描かれています。このやもめの姿は、律法学者たちの姿とは対照的な姿としてここに記されているように思います。多くの金持ちたちが献金箱にたくさん投げ入れている中で、一人の貧しいやもめは「レプタ銅貨」を2枚投げ入れました。レプタ銅貨2枚は、当時一日働いてもらえる賃金の1/64となります。現在の日本円で100円程度に相当する金額です。それを見てイエスは、彼女は「だれよりも多くをささげた」、「生きる手立てのすべてをささげた」と言われました(43,44)。
彼女はどうして「持っているすべて」をささげるようなことをしたのでしょうか。イエスは彼女の心をご覧になっていました。そして、その「ささげる心」を評価されたのです。彼女のささげる心には、どんな金持ちにも見られないような「感謝」と「喜び」があったと思います。日々受けている神の恵みに対する感謝と、神がいつも自分とともにいてくださることの喜びから、心から進んでささげたのではないでしょうか。そこには、人目を気にする思いや見返りを求める思いは一切なかったと思うのです。イエスは、そこに目を留められました。
3)律法学者とやもめの違い
このやもめの姿は、先の律法学者たちの姿とは随分異なっています。律法学者たちはすべてを持っていました。彼らは、社会的な地位も名誉も富も持っていました。彼らはそうしたものを誇り、それらに「より頼んで」いたのではないでしょうか。しかし、そうした「目に見えるもの」は一時的なものであり、人からの評価は相対的なものです。彼らの喜びは変わりうる、状況次第の喜びであったと言えます。
一方、貧しいやもめは何も持っていませんでした。社会的に弱い立場にあり、人々から目を留められることもなく、ひっそりと貧しい生活をしていたでしょう。しかし彼女は、「目に見えない神」に信頼し、神を愛し、神を喜んでいました。「永遠に生きておられ、変わらない神」により頼んでいたのです。ここに、律法学者たちとの大きなが違いがあります。その変わることのない喜びが、「惜しみなくささげる」行為として現れたのではないでしょうか。
4)やもめの信仰に教えられること
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」(テサロニケⅠ5:16-18) この貧しいやもめは、まさにこのみことばの通りに生きていたように思います。彼女は、たとえ貧しくても、「いつも神を喜んで」いました。たとえ誰も目を留めてくれなくても、神を信頼し、「絶えず祈って」いたでしょう。そして、どんな状況にあっても、「神に感謝をささげて」いたと思うのです。
私たちも、このみことばを日々心に留めて歩んでいきたいと思います。目に見えるものは一時的であり、変わりうるものです。しかし、目に見えない神は永遠に生きておられ、決して変わることはありません。その大きなお方が、ひとり子イエス様を遣わしてくださったほどに私たちを愛してくださいました。「この方に信頼する者は、決して失望させられることはない」(ペテロⅠ2:6)このお方を信頼し、私たちの「心のよりどころ」としたいと思います。
このやもめのように、どんな境遇にあっても、神を愛し、神を喜び、神に信頼して、神とともに生きる人生を歩み続けてまいりましょう。