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ルカの福音書15:11-24 「天の父の愛とあわれみ」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(イザヤ書55:7)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は子ども祝福式に関連して、「放蕩息子のたとえ話」に学びたいと思います。
1)放蕩息子のたとえ
イエスのところに取税人たちや罪人たちが集まって来たのを見て、パリサイ人たちや律法学者たちは、この人はどうして罪人たちを受け入れて一緒に食事までするのかとイエスを非難しました。それに答える形で、イエスは続けて3つのたとえ話をなさいました。「いなくなった1匹の羊」、「なくした1枚の銀貨」、そして「放蕩息子」のたとえ話です。これらのたとえ話を通してイエスは、「一人の罪人が悔い改めるときには、天には大きな喜びがある」と教えられました。一方で、3つ目の「放蕩息子のたとえ」には、最初の2つのたとえと少し違うところがあります。先の2つのたとえでは、持ち主がなくしたものを一生懸命に捜す姿が描かれています。しかし、放蕩息子のたとえでは、父親は出て行った息子のことを捜しに行こうとはしませんでした。ただ待っていただけのようにも見えるのです。
2)放蕩息子の思い
弟息子は、自分の分け前の財産を受け取ると、数日して荷物をまとめて遠い国へと旅立っていきました。父親に束縛されたくないとか、もっと自由に生きたいという思いがあったのだろうと思います。彼は父親のもとを離れて、自分の思い通りに生きようとしました。彼の姿は、神様から離れて生きている人間の姿を表しています。私たち人間は、生まれた時から造り主である神から遠く離れ、さ迷っていると聖書は語っています。この弟息子も、父親から自由になって自分の好きなように生きたいと願ったようです。しかし彼は、もらった財産を湯水のように使い果たし、やがて、豚の餌さえ満足に受けられないほどに落ちぶれてしまいます。彼は、父親がどんなに引き止めたとしても、聞く耳を持たなかったのではないでしょうか。私たちも、彼のように自分の思いで突き進んでしまうことがあるかもしれません。
3)父の思い
では父親は、そんな弟息子をどんな思いで見ていたでしょうか。一見すると、この父親は息子を引き止めず、彼が帰ってくるまでの間何もしなかったかのようにも見えます。父親は、息子のかたくなな心をよく分かっていたのではないでしょうか。そして、やがて彼が放蕩してみじめになることも承知の上で、彼の意志に任せました。それは、息子が自分の間違いに自分自身で気づく必要があったからだと思います。この間、父親は愛するわが子のことをどれほど心配して待っていたことでしょう。
この父親の姿は、私たちに対する天の神様の姿を表しています。神は、私たちに自由意志を与えてくださいました。神は、私たちの行動や心を操り人形のように支配することはないのです。人間は、その自由意志によって神から離れていきました。そして、自分の好きなように生きています。神は、そんな私たち人間たちのことを、この放蕩息子の父親のような思いで見ておられるのではないでしょうか。私たちをお造りになった神様は、自分勝手に生きている私たち人間のことをどれほど心配し、ハラハラしながら見ておられるだろうかと思うのです。
「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(イザヤ55:7) ここに、私たちに対する神の熱い思いがよく表されています。「わたしのもとに帰っておいで」と、神は私たちに呼びかけておられます。そして、神の方から私たちを捜しに来てくださいました。「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10) 天の神様は、失われた私たちを捜して連れ戻すためにひとり子イエス様を遣わされたのです。
4)放蕩息子を迎える父親
放蕩息子は、どん底に落とされてようやく「我に返り」(17)ました。自分自身の姿に気づいたのです。そして、自分の罪を悔い改めて、父親のもとに帰ることを決意しました。「悔い改める」とは、「向きを変える」ことです。彼は、「立ち上がって、父親のもとへと向かい」(20)ました。父親は遠くから彼を見つけ、一切責めることなく大喜びで迎え入れました。「私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」私たちが悔い改めるとき、神は喜んで迎え入れてくださいます。父なる神は、イエスが十字架で流された血潮のゆえに、私たちを赦してくださるのです。
5)父親の姿に学ぶこと
最後に、親としてこの父親の姿から教えられることとして、3つの点に目を留めたいと思います。
①1点目のことは、「子どものために祈り続ける」ことです。この父親は、放蕩息子に対して決して無関心ではありませんでした。彼のために毎日祈り、気にかけていただろうと思います。だからこそ、いつでも迎える準備ができていました。私たちも、子どもたちのために、また家族や周りの人々に関心をもって、祈り続けていきたいと思います。
②2点目のことは、「子どもを支配しない」ということです。この父親は、息子の行動を縛るようなことはしませんでした。もちろん、危険なことを教えたり、制限したりすることは大事なことです。しかし、親の思い通りにレールを敷いて、選択の余地を与えないとしたら、それは子どもを縛ることになるのではないでしょうか。また、いつまでも親が手を差し伸べているとしたら、それも子供を縛ることになると思います。子どもが自立できるように促すことも大切なのではないでしょうか。
③そして3点目のことは、「信じて待つ」ということです。この父親は、実に忍耐深く、息子の帰りを待ちました。息子を信じて待ったのです。そして息子は、自分で気づいて向きを変えることができました。「自分で気づけるようにする」ということは、大事なことではないでしょうか。忍耐をもって「信じて待つ」、という姿勢も大事にしたいと思います。
天の神様が私たちを愛し、あわれんでくださったように、私たちも、子どもたちや家族周りの人々のために祈り、愛を表してまいりたいと思います。