主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書12:13-17 「神を恐れ、王を敬う」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。」(ペテロの手紙第一2:17)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエスが「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と言われたことばが記されています。これはどういうことを教えているのでしょうか。

1)ユダヤ人指導者たちの企み
イエスに非難されたイスラエルの指導者たちは、イエスに対する憎しみをますます募らせていきました。そして、イエスを陥れようとしてさっそく「パリサイ人」と「ヘロデ党」の者たちをイエスのところに遣わしまします。「パリサイ人」は、律法を忠実に守ることを何よりも大切にし、「反ローマ」の立場でした。一方の「ヘロデ党」は、ヘロデ一族による支配を願っていたユダヤ人の政治的なグループで、世俗的で「親ローマ」の立場をとっていました。彼らはイエスを共通の敵として手を結び、協力してイエスをことばの罠にかけて訴えようと企んだのです。

2)カエサルへの納税を巡る問い
彼らはイエスに、「カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているかいないか、納めるべきか納めるべきでないか?」と尋ねます。税金を異邦人であるローマに納めることは、ユダヤの律法にかなっているかとの問いです。もしイエスが「ローマに税金を納めるべき」と答えれば、反ローマの立場のパリサイ人たちがイエスを非難して、イエスがローマに協力していると民衆に言い広めることができます。また、「ローマに税金を納めるべきではない」と答えるならば、今度は親ローマの立場のヘロデ党の者たちがイエスを非難して、イエスがローマに反逆しているとローマ総督に訴えることができます。イエスがどう答えても、イエスを追い詰めることが出来ると踏んだのです。

3)カエサルのものはカエサルに
イエスは彼らの企みを見抜いて、デナリ銀貨を持って来させ、誰の肖像と名前が刻まれているのかと尋ねます。そして、「カエサルのです」と答えた彼らに、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と言われました。これはどういうことを意味しているのでしょうか。
「カエサルのものはカエサルに」とは、ローマの恩恵にあずかる者として、市民としての義務を果たすのは当然だということです。当時、イスラエルはローマの支配下にありましたが、人々は通貨や治安、インフラなど様々な面でローマの恩恵を受けていました。
一方、「神のものは神に返しなさい」とは、神のかたちが刻まれている者として、人は神のものであり、神に返さなければならないということです。私たちは神から日々豊かな恵みを受けて生かされています。恵みを受けている者として、私たちは恵みを与えてくださる神にお返しすべきなのです。それは具体的には、「神を恐れ、神に従う」生き方を第一とすることです。そして、神を愛し人を愛することを、普段の生活の中で実践していくことではないでしょうか。
このイエスの答えを聞いて、彼らは「驚嘆」したとあります。何も言い返せませんでした。

4)人の権威に従うことと神の権威に従うこと
このローマへの納税を巡っての問答から、私たちは「人の権威に従う」ことと、「神の権威に従う」ことの関係についても考えさせられるように思います。私たちが置かれている社会の中で信仰者として生きることについて、聖書はどう教えているでしょうか。3つの箇所から確認したいと思います。
①ペテロの手紙第一2:13~17より
「人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。」(13)人が立てた制度に、主への信仰のゆえに従いなさいと勧めています。上に立てられたローマの権威に、「神のしもべとして従いなさい」というのです。「すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。」(17) ここにも「神を愛し、人を愛する」生き方が示されています。

②ローマ人への手紙13:1~7より
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(1) すべての権威は神によって立てられているのだから、上に立つ権威に従うべきだと語っています。世の権威も、神の許しなしには立てられてはいないのです。

③エレミヤ書29:4~7より
「わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。」(7)これは、預言者エレミヤがバビロンに捕囚となったユダヤ人たちに書き送った言葉です。引かれて行ったその地で根を下ろして暮らしなさい、と語っています。そして何と、「その町のために主に祈りなさい」と命じています。神は彼らに、散らされた先々でその町のために祈ることを求めました。

このように聖書は、信仰者がそれぞれ置かれているところで、そこに立てられている権威に従うことを教えています。神への信仰のゆえに、信仰者として、「人が立てたすべての制度に従い」、「恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬う」ことが求められています。「ダニエル」は、引かれて行ったバビロンの地で、まさに「神を恐れ、王を敬う」生き方を実践しました。その生き様が、異教の王の心をも動かして、彼は王から全幅の信頼を受けるようになります。そして、大きく用いられたのです。

そのように神は、私たちを今いるところに遣わして、そこで私たちが周りの人々とよい関係を築いて、「地の塩、世の光」として輝いて生きることを願っておられるのではないでしょうか。私たちも、今置かれているところ、家庭において、職場において、地域において、そんな生き方を実践してまいりたいと思います。