主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書11:1-10 「救い主は子ろばに乗って」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。」(ゼカリヤ書9:9)

【礼拝メッセージ要旨】

この箇所には、イエスが「子ろば」に乗ってエルサレムの町に入って行かれるという出来事が描かれています。イエスはどんな思いでエルサレムに入って行かれたのでしょうか。

1)ベタニアへ
その後イエスの一行はエルサレムを目指して旅を続け、オリーブ山のふもとにあるベテパゲとベタニアまでやってきました。ベタニアはマルタとマリアの姉妹とその兄弟ラザロが暮らしていた村で、イエスは最後の一週間をこの村に滞在しながらエルサレムに通ったようです。

2)エルサレム入場
イエスは二人の弟子を近くの村へと遣わし、そこにまだだれも乗ったことのない「子ろば」がつながれているので、「主がお入り用なのです」と言ってそれをほどいて連れてくるように命じます。そうしてその子ろばはイエスのもとへと連れて来られて、イエスはその子ろばに乗ってエルサレムの町に入って行かれました。
それを見た人々は、自分たちの上着や葉の付いた枝を道に敷いて、「ホサナ」(どうぞお救いください)と叫んで熱狂的にイエスを迎えます。人々は、イエスこそこの国をローマ帝国の支配から解放してくれる王となるお方だと期待をかけたのです。一方イエスは、このあとエルサレムで起こることをご存じでした。人々の期待とは裏腹に、自分を低くして父なる神様のみこころに従われました。このとき「ホサナ」と叫んで、喜んでイエスを迎えたこの人々が、数日後には「十字架につけろ」と叫ぶことになります。一時の感情でイエスを受け入れても、自分にとって都合が悪くなればいとも簡単にイエスを見捨ててしまう、そんな姿があります。ここに、私たち人間の罪深さがよく表れています。イエスはそんな彼らのことを、あわれんで見ておられたのではないでしょうか。

3)救い主は「子ろば」に乗って
イエスはなぜ「子ろば」に乗ってエルサレムに入られたのでしょうか。このことは聖書の預言が成就した出来事でした(ゼカリヤ9:9)。「あなたの王があなたのところに来る」、「柔和な者で、ろばに乗って来られる」とあるように、イエスは子ろばに乗ってエルサレムに来られました。それによって、ご自分が聖書に預言されていたメシアであることを示されたのです。
では、「子ろばに乗って来る」ということにはどんな意味があるのでしょう。当時、王様が都に入る時には、「ろば」ではなくて「馬」が使われました。馬は大きくて力があります。力の象徴でした。馬に乗った王様は、民を支配する権力を持っていることを示しています。一方「ろば」は、人を運んだり荷物を運ぶために一般庶民がよく利用した家畜です。馬に比べれば、小さくて非力で、格好よくはありません。馬のように早く走れません。しかしイエスは、あえて「ろば」、しかも「子どものロバ」に乗られたのです。これは、イエスがどのような「王」となるお方であるかを示しています。どんな王と言えるでしょうか。
一つは、「平和をもたらす王」ということです。ろばは、馬とは違って戦いには不向きです。イエスも抵抗することなく十字架へと自ら進んで行かれました。イエスの十字架のみわざによって、私たちに神との和解の道が開かれました。そのように、イエスは「平和をもたらす王」として来られたのです。
もう一つ言えることは、「へりくだった王」ということです。ろばは重い荷物も忍耐強く運びます。主人に従順に従います。そのように、イエス様は低くなって私たち人間に仕えてくださいました。全能の神であるお方が、私たちと同じようになって、私たちを救うために十字架に向かわれました。イエス様は、ご自身が私たちに仕える者となって、「へりくだった王」として来られたのです。

4)主がお入り用なのです
イエスはあの子ろばを指定して、ご自身の働きのために用いられました。この「子ろば」の姿から、私たちが教えられることがあるように思います。3つの点を挙げたいと思います。
①まず一点目のことは、「イエスは私たちを解放してくださる」ということです。あの子ろばは、それまでつながれていた「向こうの村」から「ほどかれて」、イエスのところへ連れて来られました。そのようにイエスは、私たちを縛り付けている様々なもの(人に頼ることや世の価値観、世間体など)から解放し、自由にしてくださいます。

②次に二点目のことは、「イエスは私たちを用いてくださる」ということです。イエスは、人を乗せることに慣れた「おとなのろば」ではなくて、まだ人を乗せたことのない「子どものろば」を用いられました。イエスはあえて、頼りない「子ろば」を選んで、「主がお入り用なのです」と言われたのです。そのように、イエス様は私たちのことをも選んでくださったのではないでしょうか。私たちは、本当に欠けだらけで弱く小さい者です。それでも、「あの子ろばがいいのだ」と言われたように、イエス様は「あなたがいいのだよ」と言っておられます。そして、私たちをイエス様のご用のために大きく用いてくださいます。このことをぜひ心に留めたいと思います。

③そして三点目のことは、「喜んでイエスにお従いする」ということです。私たちはイエス様の招きにどのように答えるべきでしょうか。イエス様によってもたらされた自由と与えられている賜物を用いて、感謝を忘れずにイエス様に喜ばれる生き方を求めて行きたいと思います。榎本保郎牧師は、あの子ろばを「ちいろば」と呼んで、自分の姿に重ね合わせました。そして「ちいろば」として、精一杯イエス様にお仕えしました。

私たちも、イエス様に召し出していただいた「ちいろば」として、普段の生活の場で喜んでイエス様にお従いしたいと思います。