主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書7:31-37 「エパタ、開かれよ!」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。」(マルコの福音書7:34)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、イエスが異邦人の地で一人の障がいのある男性に出会い、彼を癒やすという出来事が記されています。イエスは、彼をどのように取り扱われたでしょうか。

1)ろうあの男性を連れて来た人々
その後イエスは、ガリラヤ湖の南側に広がるデカポリスと呼ばれる地方に行かれました。そこは多くのギリシア人が暮らす異邦人の土地です。さらにその地方のガリラヤ湖畔の町に来られた時に、人々がある一人の人を連れてきました。彼は、「耳が聞こえず、口の聞けない人」(ろうあの人)でした。彼はそれまで苦労の多い人生を送ってきたと思われますが、彼には心配してくれる人たちがいました。彼らはイエスのうわさを聞いて、この人をイエスのもとに連れて来ました。彼のために必死になってイエスに「とりなし」をしたのです。そんな彼らの願いをイエスは聞き入れました。この人たちがいなければ、彼はイエスのことを知ることもなく、イエスに出会うこともなかったでしょう。

 聖書には、他にもイエスの癒やしの出来事が記されていますが、多くの場合、他の誰かがその人をイエスのもとに連れて来るか、その人のために癒やしを願い出ています(中風の人を担いでイエスのもとに連れて来た「4人の人たち」、自分の幼い娘の癒やしを願い求めた「ツロの女性」、病気で苦しんでいた部下の癒やしを懇願した「百人隊長」など)。そのように、苦しんでいる人のために、必死になってイエスに助けを求めた人たちの姿があります。イエスは、そうした人たちの思いを受け止めて、彼らの願い(祈り)に答えるように、癒やしのみわざをなさいました。このところから、「とりなしの祈り」の大切さを教えられます。イエス様は、私たちが愛する家族や、関わりのある周りにいる人たちの救いのために、真剣に祈り続けることを求めておられるのではないでしょうか。私たちがあきらめずに祈り続けて行く時に、神様はその祈りを聞いてくださると信じて、祈り続けたいと思います。そしてその人たちをイエス様のもとに連れて来るために、自分にできることをなしていきたいと思います。

2)イエスの取り扱い
では、イエスは連れて来られた「耳が聞こえず、口の聞けない人」を、どのように取り扱われたでしょうか。その人だけを群衆から連れ出し、その人の耳と口に直接触れました(33)。イエスは、この人に随分丁寧な取り扱いをされています。他の場合では、ことばだけで癒やしたり(ツロの女性など)、「長血をわずらっていた女性」(マルコ5章)は、彼女が後ろからイエスの衣に触っただけで癒やされました。イエスは、人によって様々な方法で関わり、癒やしのみわざを行われたのです。つまり、イエス様は一人ひとりにふさわしいやり方で取り扱いをなさる、ということではないでしょうか。例えば、信仰への導かれ方も人それぞれです。「人」を通してイエスに出会う場合もあれば、個人的な「体験」を通して救いに導かれる方もいます。もちろん、直接「聖書」を読んでイエスを信じる人もいるでしょう。イエス様は、その人の個性や、置かれた状況などに応じて、その人にふさわしい関わり方をされるのだと思います。自分が救いに導かれたやり方で他の人も導かれるとは限らないのです。神様は、思いもよらないような方法で人に関わり、救いへ導かれるかもしれません。そのことを心に留めて、周りにいる人々の救いのために祈っていきたいと思います。

3)エパタ、開かれよ!
イエスはさらに、天を見上げ、深く息をしました(34)。「深く息をした」と訳されている言葉には、「うめく」と言う意味があります(ローマ8:26参照)。イエス様は、この人のそれまでの人生の苦しみを知っておられました。この人の中に、言葉にならないような「うめき」があったのではないでしょうか。イエスは、そんな彼の「うめき」を、ご自分のうめきとされたのです。
そうしてイエスは、その人に「エパタ」(開かれよ)と言われました。これは、「閉ざされたものから解放されなさい」という命令です。イエスは、長い間耳と口が閉ざされ、孤独を感じていたこの男性の耳と口を「解き放ち」ました。それは、彼の心を縛っていたもの、罪とサタンの支配から「解き放つ」ということも意味していたのではないでしょうか。イエス様は、私たちの心を縛り付けている様々なものから解放してくださるお方です。私たちも、この人のように、イエスに出会い、イエスの個人的な取り扱いを受けて、罪の奴隷から解き放っていただきました。しかし、クリスチャンになってからも縛られていることがあるかもしれません。それは例えば、世間体であったり、「こうあらねばならない」という自分の思いであったり、自分の中にあるプライドや、何か「手放せないでいるもの」かもしれません。そうしたものに縛られて、神様の語り掛けが聞けないでいる、あるいは、本当に大事なものが見えないでいる、ということはないでしょうか。そんな私たちにイエスは、「エパタ、開かれよ!」と言っておられます。

4)救いの喜びを証しする
イエスが「エパタ」と命じられると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解けて、はっきりと話せるようになりました。彼は、それまで閉ざされていたものから完全に解放されたのです。どんなに嬉しかったことでしょう!イエスは、このことをだれにも言ってはならないと彼らに命じられましたが、彼らは黙ってはいられませんでした(36)。彼は開かれた自分の口を用いて、イエスのことを証ししました。救われた「喜び」に満たされて、イエスの恵みを証しせずにはいられなかったのです。

私たちも、イエス様に出会い、救われた「喜び」を忘れないでいたいと思います。そして、その喜びを近くにいる誰かに証しし、伝えていきたいと思います。