主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書2:23-3:6 「安息日は人のために」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。」(マルコの福音書2:27)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、「安息日」を巡って、パリサイ人たちとイエスの論争が繰り広げられています。「安息日」とは、本来どのような日なのでしょうか。

1)安息日とは?
パリサイ人たちは、彼らが教え、大事にしていた戒めをイエスが平気で破るようなことをしていたのを苦々しい思いで見ていました。やがて彼らは、イエスを訴えるために、イエスと弟子たちの「あら捜し」をするようになります。今日の個所では、彼らが最も大事にしていた「安息日」についてイエスを非難しています。「安息日」とは、神がモーセを通してイスラエル人に対して命じた日のことです。6日間働いて、7日目はどんな仕事もしてはならないと命じ、その日を「安息日」とされました。イスラエル人、特にパリサイ人たちは、この戒めを忠実に守ろうとして、「安息日にしてはならないことのリスト」を具体的に作ります。そして、それらの決まり(口伝律法)を守るように人々に教え、指導していたのです。

2)安息日にしてはならないこと?
この「安息日」に、イエスは弟子たちと麦畑を通りかかり、弟子たちは空腹を満たすために麦の穂を摘んで食べていました。これを見たパリサイ人たちは、「なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするか」とイエスを非難します。パリサイ人たちは、安息日を「~をしてはならない日」と考えていました。彼らは、「自分たちが決めた決まり」(伝統や慣習、文化といったもの)に縛られて、律法の本来の意味を見失っていたように思います。私たちも、人の決めた教会の伝統や文化を大事にするあまり、肝心のイエスのみこころを見失うことのないように、気を付けたいと思います。

3)安息日は人のために
これに対してイエスは、ダビデがかつてひもじかったとき、祭司以外食べることが禁じられていた供え物のパンを家来と分けて食べたことを引き合いに出して、こう言われました。「安息日は人のために設けられたのです」「人が安息日のために造られたのではありません」(27)このところに、安息日の本来の目的が示されているように思います。それは、人が本当に幸せに生きて行くために必要なこととして、神は安息日を定めてくださったということです。確かに安息日は、神に礼拝をささげるときでもあります。しかし、神が人によって崇められ、褒めたたえられたくて、この日を制定したのではありません。なぜならば、神は、人がどんな態度を取ろうとも、ご自身で存在できる大きなお方だからです。むしろ神が、私たち人間のためを思って、安息日を設けてくださったということです。神は、人が神との交わりを持ち続けて幸せに生きることを願われました。

 3:1~6には、イエスが安息日に会堂で片手のなえた人がいるのをご覧になって、その人を治した出来事が描かれています。この時もパリサイ人たちは、イエスならきっと病人を治すに違いないと考えて、訴えるチャンスを狙っていたようです。イエスは、そんな彼らの魂胆もすべてご存知で、こう言われました。「安息日に律法にかなっているのは、善を行なうことですか、それとも悪を行なうことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」(4) そしてその人を治しました。これを見て、パリサイ人たちは、イエスを殺すことを相談し始めます。律法を熱心に守ろうとした彼らが、安息日に「殺すこと」を選んでしまったのです。

4)安息日にすべきこと
今日の個所から、私たちにとっての安息日である「主の日」とはどういう日なのか、3つの点から確認をしたいと思います。
①1つ目のことは、「神に思いを向けて、一週間の歩みをリセットするとき」ということです。神は、この世界を造られたとき、7日目にそのわざを休まれて、この日を祝福しました。6日間になされたみわざをご覧になって、「非常に良かった」と言われたのです。私たちにとっても、安息日は仕事を休んで、神を見上げて、一週間の歩みを振り返るときではないでしょうか。一週間を守り導いてくださった主に感謝をささげ、みことばに力をいただいて、新たな一週間を歩み出していきたいと思います。

②2つ目のことは、「休息のとき」ということです。本来、「安息日」という言葉には、「休む」「休息する」という意味があります。私たちには、体の休息が必要です。そのために、神様は私たちに、6日働いて1日休息するというサイクルを与えてくださいました。また、私たちには心の休息も必要です。イエス様は、私たちに「本当の休息」を与えてくださいます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28) イエスのもとに行く時に、私たちは体と心の休息(やすらぎ)を得ることができるのです。

③そして3つ目のことは、「愛を実践するとき」ということです。イエスは、安息日に律法にかなっていること(安息日にしてよいこと)は、「善を行うこと」であり、「いのちを救うこと」なのだと言われました。これこそ、私たちが安息日になすべきことではないでしょうか。周りの人々を思いやり、愛を表わすことを再確認し、新たな週の中でそれを実践していくことです。特に、最も近い人間関係である家族に寄り添うことを大切にしたいと思います。イエスが大切なこととして弟子たちに教えられたことは、「互いに愛し合いなさい」ということでした。また、積極的に平和を作ることも、イエス様が私たちに求めておられることです。今の時代、SNSなどを通して、自己主張や他人を批判することが公然と行われています。一方的に持論を語るだけで、じっくり話し合って、歩み寄るということが難しい時代になってきているように感じられます。しかし私たちは、イエス様の教えに聞いて、愛を実践し、積極的に平和を作る者となりたいと思います。

迎えた新たな年も、神様が、私たちのために設けてくださった安息日である主の日を、感謝して、大切なときとしておささげしてまいりましょう。