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列王記第二14:23-29 「主のあわれみは尽きない」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「しかし主よ あなたはあわれみ深く 情け深い神。怒るのに遅く 恵みとまことに富んでおられます。」(詩篇86:15)
【礼拝メッセージ要旨】
主は、イスラエルの歴史を通して、深い「あわれみ」を示されました。その「あわれみ」とは、どのようなものであったでしょうか。
1)主の目に悪を行ったイスラエルの王たち
北イスラエルの預言者エリシャが活躍した時代、北イスラエルではあの悪名高いアハブの王家からエフ―の王家へと王朝が交代します(BC840年頃)。しかし北イスラエルでは、主に従うような「善い王」は起こりませんでした。残念ながら、どの王も「主の目に悪であることを行った」と聖書は記しています。そのことによって、不正や道徳的な乱れが社会に蔓延し、民は苦しい生活を強いられていたようです。また、外に目を向ければ、南ユダとの争いがあり、アラムやアッシリアという大国の脅威にもさらされていました。
2)ヤロブアム2世の時代
そうした時代に、北イスラエルに「ヤロブアム」という王が即位します(BC790年頃)。北イスラエルの最初の王となった「ヤロブアム」と区別するために、「ヤロブアム2世」とも呼ばれます。残念ながら、彼もそれまでの王たちと同じように「主の目に悪であること」を行います(24)。しかし彼は、北イスラエルの領土を回復し、繁栄と平和の時代をもたらしました(25)。神の祝福を受けるようなことです。一体どうしてなのでしょう。その理由が、26、27節に記されています。主がイスラエルの苦しみをご覧になり、ヤロブアムを用いてイスラエルを滅びから救われたとあります。それまでイスラエルは「非常に激しい」苦しみの中にありました。そのような時に、主は何と、悪い王であったヤロブアムを用いてイスラエルを救う、ということをなさったというのです。このところに、イスラエルに対する「主のあわれみ」が表わされているように思います。
3)主のあわれみ
では、その「主のあわれみ」とはどのようなものだったでしょうか。このところから、3つの点に目を留めたいと思います。
①「ご覧になった」
まず一点目のことは、「主がご覧になった」ということです(26)。主は、彼らに目を留めておられました。イスラエルの歴史を通して、主はいつも彼らに目を留め、度重なる困難から救い出されました。しかしイスラエルは、何度も主につぶやき、背きます。それでも主は、彼らを決して忘れることなく、目を留めておられたのです。そして、彼らが自分たちの罪のゆえに苦しんでいる姿をご覧になって、あわれに思われたのではないでしょうか。
主は私たち一人一人のことも、同じようにご覧になっておられます。私たちのことをいつも愛をもって見ておられます。私たちが苦しむ時、主も一緒に苦しんでくださいます。主はそれほどまでに、私たちのことをいつくしみ、あわれんで見ておられます。このことを忘れないようにしたいと思います。
②「消し去ろうとは言っておられなかった」
次に二点目のことは、「消し去ろうとは言っておられなかった」ということです(27)。イスラエルの民はその罪の故に、とうの昔に滅ぼされていてもおかしくなかったはずです。しかし主は、彼らが滅びることを望んではおられませんでした。それどころか、何とかして彼らを罪の苦しみから救い出したいと願われました。主は、何度も彼らの罪へのさばきを思い直し、救いの手を差し伸べたのです。このところにも、イスラエルに対する主の深いあわれみが表わされています。
この主のあわれみは、同じように私たちにも注がれています。私たちがどんなに悪くても、何とかして私たちを罪の奴隷から救い出したいと、主なる神様は願っておられます。そのために主は大きなことをしてくださいました。
③「一人の救う者によって彼らを救われた」
そして三点目のことは、主は「一人の救う者によって彼らを救われた」(27,13:5)ということです。決して良い王とは言えなかったヤロブアムによって、主はイスラエルを苦しみから救おうとされました。そのように、主は度々イスラエルに、目に見える形で、「救う者、救助者(救い主)」を遣わして、彼らを困難から救い出す、ということをされました。ここにも主のあわれみが示されています。
今の時代、私たちにも、「一人の救う者」が与えられました。救い主イエス・キリスト、イエス様です。私たちを罪の奴隷から救い出すために、天の父なる神様は、神のひとり子イエス様を人として遣わしてくださいました。イエス様は、目に見えるお姿でこの世界に来てくださいました。そして、私たちを救いに導く「良い知らせ」である福音を伝え、人々への愛を余すところなく現わされて、最後は私たちの罪をその身に負って、十字架で贖いを成し遂げてくださいました。もしイエス様が来られなかったら、私たちは罪のゆえに滅びに向かうしかなかったのです。ここに、私たちに対する最も大きな「主のあわれみ」が表わされています。
4)主のあわれみは尽きない
最後に、「今週のみことば」に目を留めたいと思います。「しかし主よ あなたはあわれみ深く 情け深い神。怒るのに遅く 恵みとまことに富んでおられます。」(詩篇85:15)これは、イスラエルの王であったダビデの祈りの言葉とされています。ダビデは実に波乱万丈な人生を送りました。多くの迫害を経験し、大きな罪も犯しました。そうした試練を通して、彼は主のあわれみと赦しと恵みを体験します。ダビデのこの祈りの言葉は、そうした彼の経験から出ている告白なのだな、と思います。主がどんなにあわれみ深いお方であり、情け深いお方であり、また、怒るのに遅く、赦し、恵みを豊かに与えてくださるお方であるのか、自分の体験を通して、よく分かっていたのではないでしょうか。心からの真実な祈りです。
私たちも、これまでどれほど、主のあわれみを受けてきたことでしょうか。また、赦され、そして恵みを豊かに受けてきたことでしょう。このことを思い起こしたいと思います。私たちに対する主のあわれみは、尽きることはありません。この主のあわれみと恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。