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列王記第二6:8-23 「万軍の主がともに」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」(列王記第二6:16)
【礼拝メッセージ要旨】
今日も、北イスラエルの預言者エリシャを通して神がなされた働きに目を留めたいと思います。
1)アラム王の企み
ある時、アラムの王はイスラエルの軍隊を打ち破るための作戦を練ります。ところが、その企みは全部知られていて、イスラエルの王に伝えられていました。イスラエルの預言者エリシャが知らせていたのです。それを知ったアラムの王はエリシャを捕えようとします。やがてエリシャがドタンの町にいることを知ったアラム王は、すぐに馬と戦車と大軍を派遣しました。彼らは夜のうちにやってきて、その町はあっという間にアラムの大軍に包囲されてしまいます。
2)どうしたらよいのでしょう
「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」(15)エリシャと一緒にいた彼の召使いの若者が朝早く起きて、その光景を見て、エリシャに叫びました。彼は、目の前に迫っている大軍を見て、非常に恐れ不安になり、動揺したのです。祈ることができずにただエリシャに助けを求めるだけでした。
私たちも、突然の困難の中に置かれることがあります。希望の持てない、もうダメだと思えるような時です。そんな時、私たちもこの若者のようにただ恐れ、不安になり、慌てふためいてしまうかもしれません。祈ることもできずにただオロオロしてしまう、ということもあるのではないでしょうか。
3)恐れるな
「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」(16) エリシャは彼にこう告げました。これは、「万軍の主」が共にいてくださる、ということではないでしょうか。聖書には、「万軍の神」、「万軍の主」ということばが出てきます。「万軍」と訳されている言葉は、英語ではalmightyと訳される言葉で、「神の主権」とか「神の全能」を表しています。「万軍の神」とは、「宇宙を創造し、すべてを支配しておられる神」、「全能の神」のことです。私たちが信じている神様は、どんな人間の力よりも、はるかに大きな権威と力を持つお方です。その「万軍の神」であるお方が、私たちの味方となって共にいてくださるのです。だとしたら、何も恐れることはないのではないでしょうか。
「どうか、彼の目を開いて見えるようにしてください」(17) エリシャは、その若者のために祈りました。彼の心の目が閉じられていて、万軍の主が共にいてくださることが分からずに、目の前の困難を恐れ絶望していたのです。エリシャは、そんな彼の心の目が開かれるようにと祈りました。すると、彼の目は開かれて、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちているのが見えました。彼はどんなにか安心できたでしょう。
エリシャは、アラムの兵士たちの目をくらませてくださいと祈り、その祈りが聞かれて彼らの目はくらまされます。そうしてエリシャは彼らを捕虜としてサマリアに連れて行き、王に命じて、彼らを盛大にもてなしてアラムに帰してやりました。敵に対して憐れみをもって返したのです。
4)万軍の主がともに
この個所から、私たちが突然の困難の中に置かれた時にどうすればいいのか、大事なことを教えられるように思います。3点確認をしたいと思います。
まず一つ目のことは、「万軍の主がともにいてくださる」ということです。私たちが信じている神様は、「天地を造られた、全能の神」です。私たちに命を与え、この世界のすべてを治めておられるお方です。その「万軍の主」であるお方が私たちとともにいてくださる、ということをしっかりと心に留めたいと思います。イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」と約束してくださいました(マタイ28:20)。どんなに苦しい状況に置かれたとしても、このことを思い出して、ともにいてくださる主に信頼したいと思います。
5)まず祈ることを忘れない
次に二つ目のことは、「まず、祈る」ということです。あの若者は、突然現れた目の前の敵を見て恐れおののき、「もうダメだ」と絶望しました。でも、その前になすべきことがありました。「祈ること」です。万軍の主がともにいてくださることを信じて、このお方に助けを求めることです。人は完全ではありません。しかし、万軍の主は完全なお方なのです。私たちを、愛を持って造ってくださったお方であり、誰よりも私たちのことを心配してくださるお方です。まず、このお方に助けを求めるべきです。「主よ、助けてください」と、一言祈るだけでもいいのです。主は、私たちの心に平安を与えてくださいます。そして、みこころのままに、行くべき道を示してくださいます。
6)結果を受け入れることも大事
そして三つ目のことは、「結果を受け入れることも大事」ということです。神様は私たちのことを心配してくださいます。しかし、いつも私たちの願いが聞かれるとは限りません。自分の願わないところに導かれることもある、ということです。時には、試練と思われるところを通されるかもしれません。それでも、そんな私たちの苦しい思いも、主はすべて知っておられます。たとえ困難の中に置かれることがあるとしても、そこにもイエス様が一緒にいてくださいます。そして、試練に耐えられるように、脱出の道も備えていてくださるのです(コリⅠ10:13)。
このことを信じて、たとえ願ったようにならなくても、「それも主のみこころ」と受け止めて、一切をおゆだねしたいと思います。
どんな時にも「万軍の主」がともにいてくだることを忘れずに、主に祈り、より頼む者となりたいと思います。