主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

詩篇55:1-23 「あなたの重荷を主にゆだねよ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩篇55:22)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、新年礼拝ということで、詩篇55篇のダビデの祈りに学びたいと思います。ダビデは、苦しい状況の中でこの祈りをささげています。

1)ダビデの苦しみ
ダビデというと、沈着冷静な偉大な王様という印象があるかもしれません。そのダビデが、この時、「苦しんで、心にうめき、泣きわめいて」いました(2)。「敵」に苦しめられていました。その「敵」とは、外の敵ではなく、彼が信頼していた、親友ともいえる身近な人であったようです(13)。その耐えがたい苦しみの中で、ダビデは必死になって神に助けを求めました(1)。彼は、どんなことを願ったでしょうか。

2)逃避願望
ダビデは、「死の恐怖」を感じるほどに苦しんで、その苦しみから逃れたいと願います。「ああ、私に鳩のような翼があったなら」今すぐにでもこの場から飛び去って、遠くの荒野へ逃げ去りたいとまで願っています。それほど精神的に追い詰められていたようです。その苦しい心の内を正直に神に打ち明けています。
本当に苦しい時、プライドやメンツを捨ててでもその苦しみから「逃げる」ということも、自分自身を守るために神様が与えてくださる知恵なのかもしれません。

3)敵へのさばきを願う
「彼らが生きたまま、よみに下るがよい」(15)さらに彼は、自分を苦しめている敵の死を願っています。信仰者がこんなことを願ってもいいのか、と思えるような随分激しいことばです。イエス様の「敵を愛せよ」という教えとは相容れないような祈りのようにも聞こえます。実は、詩篇の中には他にも敵に対して神のさばきを求める「呪いの詩篇」とも呼ばれる祈りがあります。こうした祈りをどう受け止めればいいのでしょうか。ダビデは、自分の心の思いを包み隠さずに、正直に神に打ち明けたのだと思います。それは、彼にとって必要なことでした。怒りや悲しみ、不安といったネガティブな感情を、そのまま神様に持って行ったのです。神様は、そんなダビデの苦しい祈りをそのまま受け止めてくださいました。そのことを通して、彼は怒りの感情から解放されていったのではないでしょうか。

4)神の導きと答え
この祈りをささげて行く中で、ダビデの心の中に「ある変化」がもたらされます。「主は私の声を聞いてくださる」(17)ダビデは、一日中嘆きうめきながらも祈り続ける中で、祈りは神に届いているのだ、という確信が与えられていったようです。そして、こう告白しています。「あなたの重荷を主にゆだねよ」(22)「重荷」とは、心配事や思い煩いのように、自分にとって重荷となっていることです。また、「あなたに与えられているもの」、「あなたの将来」とも訳される言葉です。その「重荷」(私たちの人生、行くべき道)を主にゆだねよ、というのです。「ゆだねる」という言葉には、「投げる」という意味があります。神様の御手にゆだねて「投げ出す」ことです。それは、人生のハンドルを神様にお任せするようなものかもしれません。全知全能の神様が、私たちのことを誰よりも分かっておられて、心配し、支え、励ましてくださるのです。そのお方が、「あなたの思い煩いも、行くべき道も、全部わたしにゆだねなさい」と言っておられます。神様が、私たちと一緒にその困難を乗り越えさせてくださり、私たちをふさわしいところへと導いてくださいます。

5)ダビデが導かれたところ
こうしてダビデは、苦しみの中で祈ることを通して、あるところへと導かれていきます。「けれども私は、あなたに拠り頼みます」(23)全能の神がすべてをご存じで、正しいさばきをしてくださることを確信してゆだねました。こうした祈りがあったからこそ、自分では決して仕返しをしなかった、あのダビデの姿があったのではないでしょうか。

私たちも、このダビデの祈りに教えられたいと思います。私たちの苦しい心の内も、そのまま神様の前に持っていくこと、正直に打ち明けることです。神様は、私たちの切実な祈りを聞いてくださいます。このことをしっかりと心に留めて、今年もこのお方に信頼して歩んでいきたいと思います。そして、私たちの一切の重荷を、主におゆだねしてまいりましょう。