主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカの福音書24:13-35 「イエス様がわかりますか?」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「道々お話しくださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」(ルカの福音書24:32)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエスがよみがえられた日の夕方、二人の弟子たちがエマオへの道でイエスに出会う場面が描かれています。彼らは、復活の主に出会い、どのように変えられていったでしょうか。

1)イエスに気づけない弟子たち
その日の夕方近く、二人の弟子がエルサレムからエマオという村に向かって道を歩いていました。彼らはこの日エルサレムで、墓に行った女性たちの話を直接聞いて、信じられないでいたようです。すると、イエスが近づいて来て、彼らとともに歩き始められました。しかし、彼らには「イエスであることが分からなかった」とあります。確かにイエスがそこにいたけれども、イエスだとは気づけなかった、見えていなかったということです。

私たちも、イエス様がすぐそばにいるのに気づけないでいる、ということはないでしょうか。このとき、二人の目は「さえぎられて」いました。例えば、「困難や試練」も私たちの目を「さえぎる」ものと言えます。弟子たちがエルサレムで見たものは、「弱々しい、無力なイエスの姿」でした。彼らの希望は絶望に変わり、イエスはもういないと思い込んだのではないでしょうか。私たちもそんな困難や試練の中に置かれるとき、イエス様がおられることが分からなくなってしまう、ということがあるように思います。それでもイエス様は、私たちを決して見捨てることはありません。いつも私たちとともにいてくださるお方です(マタイ28:20)。イエス様が絶望の中にあった弟子たちと一緒に道を歩いておられたように、イエス様は私たちの人生の道を一緒に歩んでくださいます。このことを覚えて、どんなときにも、私たちとともにいてくださるイエス様に信頼を寄せたいと思います。

2)イエスの取り扱い
そんな弟子たちに対して、イエスはどのような取り扱いをされたでしょうか。まず、「その話は何のことですか」(17)と彼らに問いかけます。「この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした」(19) 彼らは、イエスは力ある預言者(つまり人)だと理解していました。その預言者のイエスが死んでしまってもう望みがなくなってしまった、と言っています。彼らは、イエスがどういうお方であるか分かっていなかったのです。そんな彼らに、イエスは聖書全体がご自分について書いていることを「解き明かされ」ました。それは、昔から聖書に約束されていた「救い主」(メシア)とはイエスのことであり、イエスの死とよみがえりによって神の救いのご計画が成し遂げられた、ということでした。弟子たちは、イエスの話を引き込まれるように聞いていたようです。そして、イエスを引き止めて、自分たちの家に招きます。夕食の時、イエスはパンをとって祝福して、裂いて彼らに渡されました。その時はじめて、彼らはイエスだと分かったのです。

3)「イエスがわかる」とは?
「イエスだと分かった」とは、どういうことなのでしょうか。それは、自分のこととして、実感をもって(体験として)「分かった」ということです。イエスが自分にとってどういうお方なのか、ということです。大事なことは、「イエス様は、この自分ことを本当に愛しておられると分かった」ということではないでしょうか。この時彼らは、イエスが十字架で彼らのためにその身を裂かれたこと(最後の晩餐でパンを裂いて渡されたように)に気づいたと思います。彼らは、イエスが十字架の上で祈られた言葉(「父よ、彼らをお赦しください」)も聞いていたのかもしれません。そうしたイエスがなされた一つ一つのことが思い出されて、「イエス様は、本当にこの私のことを愛して、十字架で死んでくださった。そして、この私を罪から救うために、死からよみがえってくださった。」と、イエス様のご愛が、痛いほど自分のこととしてよく分かったのではないでしょうか。私たちも、このイエス様の大きなご愛を、自分のこととしてしっかりと受け止めたいと思います。

4)変えられる人生
彼らがイエスだと分かったとたん、イエスの姿が見えなくなります。そしてその時、彼らはあることに気付きました。「心は内で燃えていたではないか」(32) よみがえられたイエス様に出会い、「心が燃やされていった」というのです。彼らはそれまで絶望と悲しみの中にいました。しかし、その暗くなっていた心に光が差し込んで、じわじわと燃やされていったということです。彼らの心は、希望と喜びで満たされていきました。

イエス様は、私たちの心を燃やしてくださるお方です。イエス様に出会ったとき、自分にとってイエス様がどんなお方か分かって、感謝と喜びにあふれてイエス様を心にお迎えしたのではないでしょうか。このあと、ほかの弟子たちもよみがえられたイエスに出会い、大きく変えられていきます。イエスを見捨てた弟子たちが心燃やされて、今度は、殉教をも恐れずに大胆にイエスのことを宣べ伝える者へと変えられていきました。人間的な思いや努力では決してできないことです。イエス様は確かに今も生きて働いておられ、私たちの人生をも変えてくださるお方なのです。

イエス様は、私たちの心の目を開き、希望の光を与え、私たちの心を燃やしてくださいます。私たちとともにいてくださるイエス様に目を向けて、イエス様ともに人生を歩んでまいりましょう。