●主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)
エレミヤ書29:1-14 「平安を与える計画」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。ー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29:11)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は新年礼拝に関連して、エレミヤ書29章から開きました。神が私たちのために立てておられる「平安を与える計画」とは、どのようなものでしょうか。
1)エレミヤ書の背景
南ユダの預言者エレミヤが活躍した時代(BC600年頃)、南ユダはバビロニア帝国の支配下に置かれ、エルサレムの主だった人々は3度に渡りバビロンへと捕囚民として捕らえ移されました(バビロン捕囚)。それは、イスラエルの歴代の王たちをはじめ民が神に聞き従わず、外国から持ち込まれた偶像の神々を拝み、道徳的にも乱れた生活をしていたことの結果として、神によってなされたことでした。29章には、第2回目のバビロン捕囚の後に、エルサレムにいたエレミヤがバビロンに捕囚となったユダヤ人たちに対して、神から告げられたことばを手紙として書き送ったことが記されています。
2)現状を受け入れよ
バビロンに連れて行かれた人々は、自分たちが置かれていた状況を嘆き悲しんでいたことでしょう。生まれ育った祖国から、自分たちを侵略した敵国へと無理やり連れて来られたのです。神は、そんな絶望の中にあった捕囚の民に対してエレミヤを通して語りかけました。「家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。」(5)「わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。」(7)何と神は、「そこで前を向いて、落ち着いた生活をしなさい」と彼らに告げました。しかも、自分たちを捕虜として引いてきた、敵であるバビロンの町の平安を神に祈りなさい、というのです。これは、今あなたがたが置かれている状況を受け入れて、そこでできることを精一杯やりなさい、ということではないでしょうか。私たちも、このことばを信仰によって受け止めたいと思います。神は、すべてをご存じの上で、私たちを今の状況に置いてくださっています。たとえ苦しいと思える状況でも、その中で自分にできることがあると思うのです。
3)平安を与える計画
神はさらに、彼らに約束を与えました(10,11)。70年後、あなたがたをエルサレムへ帰らせるという約束です。そして、あなたがたのために立てている「計画」があると告げています。その計画とは、「わざわいではなくて、平安を与える計画」であり、「あなたがたに将来と希望を与えるための計画」だというのです。「平安」と訳されている言葉は、ヘブル語で「シャローム」という言葉です。それは、平和、健康、繁栄、完全さ、幸福といった様々な意味合いを含む言葉で、「欠けのない完全な状態」を表しています。「神が与える祝福」を表す素晴らしい言葉です。神は、絶望のただ中にあったユダヤ人たちに、「シャローム」を与える計画をあなたがたのために立てている、と告げました。この約束は、70年後、実現することになります。
神は、私たち対しても「シャロームを与える計画」を立ててくださいました。それは、私たちを罪から救うために、神のひとり子を与えるという壮大なご計画でした。神は、アダムが神に背いて以来、壊れていた神と人との関係が回復されることを願われたのです。そのために、神はひとり子イエスを人としてお遣わしになり、その犠牲により人の罪の贖いを成し遂げ、救いの道を開いてくださいました。イエスを自分の救い主として受け入れる人はすべて、神との関係が回復されて、神との平和(シャローム)を受けられるようになりました。これが、究極の「シャローム」なのです。
4)神様の与える訓練の時
ところで、神がバビロンにいた捕囚の民に約束された70年という歳月は、相当長いようにも思えます。多くの人々は、故郷に帰ることなく遠い異国の地で死んでいったでしょう。それでもこの70年は、神が定められた「神の時」でした。この70年の間、確かに多くの困難があったと思いますが、それ以上に神の恵みが豊かに注がれていたのではないでしょうか。彼らはエレミヤのメッセージに励まされ、それまでの生活を悔い改めて、今度こそ神に信頼する者へと変えられていったようです。「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。」(12)、「心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」(13)とあります。彼らは、このことばを真剣に受け止めて、それまでの生き方を心から悔い改めて、神に立ち返りました。そうしてこの捕囚の70年の間に、彼らの信仰が練られ、強くされていったと思います。目に見える神殿は失われても、目に見えない神に信頼する者とされていったのです。その意味で、バビロンでの70年は、彼らにとって必要な「訓練の時」であったと言えます。そこで彼らの信仰が養われ、神の民として整えられて、やがて約束通り、バビロンの支配から解放される時が来ました。苦しい中にも、神の守りと助けが確かにありました。
私たちの人生も、そのようなものではないでしょうか。新たに迎えた今年一年、どんなことが起こるか分かりません。想定外のことも起こるかもしれません。それでも、それも自分のために神が与えられる訓練の時であると、信仰によって受け止めたいと思います。そして何よりも、私たちにはイエス様という究極の神の平安(シャローム)が与えられていることを思い起こしたいと思います。どんな困難な状況にあってもこの希望があることを信じて、この一年もイエス様に信頼し、イエス様とともに歩んでまいりましょう。