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ルカの福音書22:31-34,54-62 「あなたの信仰がなくならないように」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)
【礼拝メッセージ要旨】
今日はレントに関連して、十字架を前にしてのペテロの姿と、そのペテロに対するイエスの深いお取り扱いに目を留めたいと思います。
1)十字架の背後にあった人々の思い
イエスの十字架の出来事の背景にはどんなことがあったでしょうか。エルサレムの人々はイエスに対して大きな期待を抱いていたようです(21:38)。イエスのなさるみわざを見、その教えを聞いて、このお方こそ昔から約束されてきたメシアではないかと期待を寄せていました。一方、ユダヤ人の宗教指導者たちはイエスを殺すことを企んでいました(22:2)。イエスに対する妬みが憎しみとなり、そして敵意から殺意へと変わっていったのです。彼らの姿に、人間の「自己中心性」がよく現れています。さらに、12弟子の一人のイスカリオテ・ユダは、彼らにイエスを引き渡すことを考えていました(22:6)。彼の中に、イエスに対する不満があったようです。このユダの裏切りによって、イエスは十字架に向かうことになります。そのように、十字架の出来事の背後には人々の様々な思いが渦巻いていました。しかしこうしたことも、父なる神様の大きなご計画のうちにあることでした。
2)ふるいにかけられるペテロ
そうしてイエスは、12人の弟子たちを、「過ぎ越しの食事」と呼ばれる食事の席に招きます。この時弟子たちは、このあとイエスが捕らえられて、翌日には十字架で処刑されてしまうとは全く思ってもいませんでした。その席で、イエスは弟子のペテロに語り掛けます。「サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。」(31) あなたがたはふるいにかけられる(より分けられる)、というのです。「ふるいにかけられる」とは、「揺さぶられる」(試される)ということです。また、イエスはこうも言われました。「あなたの信仰がなくならないように祈りました」(32) この時のペテロには、この言葉の意味は全く理解できなかったでしょう。それどころかこう答えています。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(33) 彼は自信満々でした。自分は大丈夫。絶対につまずくことはない、と思っていたのです。そんなペテロにイエスは、「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」と予告しました。
そして、その「ふるい」が現実のものとなります。その後イエスはユダに率いられたユダヤ人たちに捕らえられ、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ出してしまいます。それでもペテロは「遠く離れて」イエスのあとをついて行きました(54)。彼の中には恐れがありました。あれほど近くにいたイエスとの間に大きな隔たりができていたのです。ペテロが大祭司の家の中庭で火に当たっていると、彼に気づいて人たちから「この人も彼と一緒だった」と言われます。しかし彼はとっさに、「いや、私はその人を知らない」と言ってしまいます。そうしてイエスが予告されたとおり、ペテロは三度イエスを知らないと否んでしまうのです。
3)信仰が試される時
私たちも「ふるい」にかけられる、ということがあるのではないでしょうか。それは「試練」や「誘惑」という形でやって来ることもあります。「信仰が試される時」です。人を恐れて正しいことが出来なくなってしまう、ということもあるかもしれません。ペテロはふるいにかけられて、自分の弱さを思い知らされました。私たちも油断しないように気を付けたいと思います。「自分は絶対に大丈夫」と思い込む時こそ要注意です。神様は、そんな私たちをふるいにかけることによって、私たちの弱さに気づかせてくださいます。自分は弱い者である、ということを忘れないでいたいと思います。
4)あなたの信仰がなくならないように
イエスはそんなペテロの姿をどのように見ておられたでしょうか。イエスはペテロが否む前、「あなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました」(32)と告げています。この言葉にイエスの深いあわれみと愛が現わされています。イエスはペテロが裏切ることを知っておられました。それを承知の上で、彼のために祈っておられたのです。私たちも失敗する弱い者です。そんな私たちのためにも、イエス様はとりなしてくださっています。「あなたは立ち直ったら」(32)これはつまずいても必ず立ち直る、という約束のことばです。失敗しても終わりではありません。イエス様は、私たちに回復をも約束してくださっています。「兄弟たちを力づけてやりなさい」(32) ペテロはこのあと、よみがえられたイエスに出会い、再び取り扱いを受けて変えられていきます。そして教会のリーダーとして大きく用いられました。自分の失敗の経験があったからこそ、人の心に寄り添いながら力づけることができたのです。そのように、私たちがどんなに欠けだらけの者であっても、神様は私たちを励まし、用いてくださいます。
5)イエスのまなざし
ペテロが三度否んだ時、イエスは振り向いて彼を見つめられました(61)。この時、イエス様はどんな思いで見つめられたのでしょう。それは、深いあわれみと思いやりに満ちた、優しいまなざしだったのではないでしょうか。「わたしはあなたのために祈っているよ」そんな思いが込められるように思います。
イエス様は、ペテロのように弱さのある私たちのために十字架に向かわれました。そして死からよみがえり、今も私たちのためにとりなしてくださっています。このことを自分のこととして覚えたいと思います。
私たちのことをすべてご存じで、愛し、受け入れ、用いてくださるイエス様の大きな愛を覚えて、感謝をおささげいたしましょう。