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ルカの福音書1:26-38 「マリアだからこそ」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。」(ルカの福音書1:30)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は、アドベントに関連して、救い主の母として選ばれたマリアの信仰に学びたいと思います。
1)神の救いのご計画
聖書には、創世記から黙示録まで、全体を貫いている大きなテーマがあります。それは、「人類の救い」ということです。聖書には、神様の壮大な「救いのご計画」が記されています。神様は、神から離れて生きるようになった人間を罪から救うために「救い主」を遣わすというご計画を、昔から少しずつ示して来られました。そのことが、アブラハム→ダビデ→預言者たち→ザカリヤへと少しずつ、より具体的に示されて来て、いよいよイエス・キリストの誕生の時を迎えます。そのスポットライトが、今日の箇所に描かれているマリアという一人の女性に当てられることになります。
2)マリアへのみ告げ
ある時、神の御使いガブリエルがマリアのもとに遣わされます。マリアは、ガリラヤ地方のナザレの町に住んでいたうら若い女性で、ヨセフと婚約していました。イスラエル中の女性の中からたった一人選ばれるにしては、あまりにも普通の人のように思われますが、神様はこのマリアを救い主の母となる女性として選ばれました。御使いはマリアが身ごもって男の子を産むことを告げ、その子の名前まで指定します。しかも、その子は神の子であり、昔から予告されていたダビデの王座に就く救い主となるお方であることが告げられます。それは常識ではありえないこと、理解できないことでした。しかし御使いは、神の力によって身ごもるのだと告げ、「神にとって不可能なことは何もありません」(37)と語ります。「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(38)マリアは、告げられたことをすべて受け入れて、これから自分の身に起こることをゆだねる決心をしました。
3)マリアだからこそ
マリアはどうして御使いのみ告げを受け入れることができたのでしょうか。彼女に告げられたことは、確かにイスラエルの人々にとっては喜ばしい知らせでした。一方で、マリア個人にとっては、それは都合の悪いことでもありました。ヨセフに信じてもらえないことが予想されたからです。また、社会的にも不貞の罪を犯したとみなされて、厳しいさばきを受けなければならないようなことでした。しかしマリアは、自分にとって都合の悪いこととは考えなかったように思われます。御使いの言葉を拒んではいません。彼女はそれを神のみこころであり、イスラエルの民全体にとって喜ばしい知らせだと受け止めたのです。彼女は、全能の神を信じて、一切を明け渡しました。マリアのこの信仰に、神は目を留められたのではないでしょうか。「マリアだからこそ」選ばれたのです。
4)神は人を用いられる
今日の箇所から2つのことに目を留めたいと思います。一つは、「神は人を用いられる」ということです。神は、ご自身の壮大なご計画を実現するために、マリアという一人の女性を用いました。全能の神様が、あえて弱く不完全な「人」を用いて、みこころを行なわれました。しかも、大切な神のひとり子を、無力な人間の赤ん坊として「人」に託されたのです。
神様は、私たちをも用いて、みこころを行なわれます。私たちは本当に弱い者で、自分の都合を最優先にしてしまうような者です。それでも神様は、私たちを信頼して賜物を与え、それを用いるようにと励ましてくださいます。私たちが今置かれているところで委ねられていることがあるのではないでしょうか。「私たちだからこそ」できることがあると思うのです。そのことを見出して、喜んでお従いしたいと思います。
5)思いがけない恵み
もう一つのことは、「神の恵みは思いがけないものである」ということです。マリアにとって、御使いからのみ告げは本当に思いがけないものでした。全く予想も期待もしていなかったようなことです。しかも、彼女にとって都合の悪いようなことでした。御使いは、これを「神の恵み」だと言っています(30)。神様は、私たちにとって、とても恵みとは思えないようなことも「神の恵み」として与えてくださいます。ある意味で、神様から与えられる試練も神の恵みと言えるのかもしれません。神様は、人の思いをはるかに越えて、豊かに恵みを与えてくださいます。マリアは、この思いがけない恵みを、自分の喜びとして感謝して受け取りました。
この神様の恵みは、私たちにも同じように注がれています。神様のあふれるばかりの恵みを、信仰によって、感謝して受け取りたいと思います。