主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マタイの福音書1:18-25 「ヨセフだからこそ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイの福音書1:21)

【礼拝メッセージ要旨】

今日はこの箇所から、イエス・キリストの父親となった「ヨセフ」の姿に目を留めたいと思います。ヨセフは、「イエス・キリストの系図」の中で「マリアの夫ヨセフ」と紹介されています。イエスの母となったマリアに比べると、ちょっと目立たない、地味な脇役と映るかもしれません。それでも神様は、ご計画の中でヨセフを選び、マリヤの夫として、家長として、そしてイエスの育ての父親として大切な使命を与えてくださいました。

1)ヨセフの苦悩
ヨセフはマリアと婚約していましたが、その婚約期間中にマリアが妊娠していることが判明しました。常識的に考えれば、マリアは他の男と関係をもって身ごもったということになります。ヨセフは相当なショックを受けたと思われます。世の中の普通の男性であれば、絶対に赦せないという思いになって、仕返しすることも考えるかもしれません。またユダヤの社会では、婚約中の不貞は大きな罪とされ、厳しいさばきを受けなければなりませんでした。ヨセフは悩み苦しんだ末に、人に知られないうちに婚約を解消して離縁することを決意します。彼は、マリアを「不貞の女」として訴え出ることはしませんでした。マリアのことを思いやって、マリアとお腹の子どもを守ろうとしたのです。神の戒めに背くような罪を犯したマリアを妻として迎えることはできない。しかし、彼女とお腹の子どもは助けてあげたい。彼の中にそんな葛藤があったと思います。ヨセフは、マリアのことを愛していました。仕返しをしようなどとは少しも考えずに、マリアのことを思いやりました。
このヨセフのことを、聖書は、「彼は正しい人であった」と語っています。彼の中には、怒りや嫉妬や憎しみといったものは一切感じられないように思われます。自分のことよりも、相手のことを思いやりました。

2)ヨセフへのみ告げ
そんなヨセフに、神は御使いを遣わします。「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけて、マリアは聖霊によって身ごもったので、恐れずにマリアを妻として迎えるように告げました。さらに、生まれてくる子は男の子で、名をイエスとつけるように告げられます。「イエス」という名には「主は救い」という意味があります。その名の通り、この方こそイスラエルの民を罪から救ってくださるお方、つまり昔から約束されてきた「救い主」となるお方であることが告げられました。

3)ヨセフの応答
この言葉を聞いて、ヨセフはマリアを妻として迎え入れます。神のご計画と力によってマリアは身ごもり、自分たちにこの子が託されたのだと信仰によって受け入れたのです。この時ヨセフの心には、少しの迷いも恐れも疑いもなくなっていたと思います。自分の責任でマリアを妻として迎えて、彼女と生まれてくる子どもを愛し、守っていこうと決心をしました。こうしてイエスは、ヨセフとマリアの子どもとして生まれて、愛情を一杯に受けて大事に育てられていくことになります。

4)「神の正しさ」について
最後に、ヨセフの姿を通して教えられることとして2つのことを考えたいと思います。一つは、「神様の正しさ」ということです。ヨセフは「正しい人」でした。受け入れがたいような状況の中でも、マリアを愛し、思いやりを示しました。このヨセフの「正しさ」には、神様の正しさが現わされているように思います。神様は絶対的に正しいお方で、罪・汚れを受け入れることはできません。本来なら、罪を持っている私たちは神様に受け入れていただくことも、近づくこともできないはずでした。しかし神様は、私たち人間を本当にあわれんでくださり、何とかして受け入れたいと願われたのです。そのために、神のひとり子を人として人の世に遣わし、私たちの罪を負わせる(神ご自身が人となってこの世界に入って来られて、私たちの罪を代わりに引き受ける)ということをご計画されました。全能の神様ご自身が私たちのために大きな犠牲を払ってくださったのです。これも、「神様の正しさ」であったと言えると思います。

5)人を思いやる心
もう一つのことは、「人を思いやる心」ということです。私たちはこれほどまでに神様から愛されています。ヨセフもそのことが良く分かっていたと思います。そして、神様から受けた愛をマリアに示していきました。私たちも、神様から受けている愛を周りの人たちに現わしていきたいと思います。私たちにとって一番難しいことは、「人を赦す」ということかもしれません。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」(マタイ6:12、主の祈り)このイエスの教えを忘れずに、人を赦す者となりたいと思います。

父なる神様が、御子イエス様を遣わされたことによって私たちを愛し、赦してくださったように、私たちも、相手の立場に立って思いやる心を大切にしたいと思います。そして今年も、愛と思いやりの心で、クリスマスをお迎えしてまいりましょう。