主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マルコの福音書2:13-17 「罪人を招くため」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マルコの福音書2:17)

【礼拝メッセージ要旨】

イエスは、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」と言われました。これは、どういうことを意味しているのでしょうか。

1)イエスの招き
そののち、イエスはカペナウムの町で「収税所」に座っていた「レビ」に目を留めて、「わたしについてきなさい」と声を掛けます。レビは、「取税人」の一人として、収税所でローマに納める通行税を集めていました。このレビは、後の12弟子の一人となるマタイのことです。当時、ローマ帝国は、征服した民族から税金を集めるために、「徴税権」という権利を売って、それを買い取った人たちに税金を集める権利を与えていました。その「徴税権」を手に入れた人が、「徴税請負人」として、民衆からローマへの税金を取り立てていました。その際、彼らは手数料を上乗せして徴収し、その分を自分たちの収入として生計を立てていたのです。多くの取税人は、当然のように多くの手数料を上乗せして取り立てていたようです。そのため、彼らは同胞からは不正に金を奪い取る者たちとみなされ、人々から軽蔑され、嫌われていました。「レビ」は、「徴税請負人」の下で働く「集金人」であったと思われます。イエスは、そんな「取税人」であったレビに目を留め、「わたしについてきなさい」と呼びかけ、弟子として招いたのです。

2)イエスに従うレビ
イエスの呼びかけを聞いて、彼はすぐに立ち上がり、イエスに従いました。彼は安定した取税人の仕事を捨てて、イエスの弟子として、イエスについて行く道を選んだのです。なぜそうすることができたのでしょうか。彼の心の中に、孤独感や寂しさ、満たされない思いがあったと思います。人々から不当にお金を取っていることのうしろめたさも感じていたのかもしれません。町の人々からは罪人呼ばわりされ、受け入れてもらえないことの辛さ、悲しみもあったでしょう。そんな悩みや葛藤を抱えていたと思います。イエスは、そんなレビの心をご覧になりました。そして、彼を招いたのです。この時レビは、イエスに確かな希望を見出すことができたのではないでしょうか。そうして彼は、イエスに従う決心をしました。

 彼の心は、それまで経験したことのないような大きな喜びで満たされていきました。そして彼はイエスを自宅に招きます。そこにはレビの仕事仲間である取税人たちや、「罪人」と呼ばれる人たちもいました。当時、遊女たちや外国人と付き合いのあった人たちも「罪人」と呼ばれて、社会から疎外されていました。レビは喜びに満たされて、そうした孤独を感じていた仲間たちを自宅に招いたのではないでしょうか。イエスは、彼らと一緒に食事をし、彼らの話を聞いて、いろんなことを話されたと思います。そこには、イエスを中心とした温かい交わりがありました。

3)律法学者たちの非難
一方で、その様子を律法学者たちが見ていました。彼らは「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのか」と、イエスを非難します。彼らは、「罪人」と交わるなら、その人も汚れて神の祝福を受けられなくなると考えていたのです。

4)罪人を招くため
それに対してイエスは、こう言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」「丈夫な人」とは「自分は健康だと思っている人」のことで、「病人」とは「自分は病気だと自覚している人」のことです。自分は病気だと自覚している人は医者を求めますが、自分が健康だと思っている人は、医者を必要とはしません。それと同じように、「罪人」とは「自分は罪人だと自覚している人」のことで、「正しい人」とは「自分は正しく生きていると自認している人」のことを指しています。レビのように、自分には罪があると自覚できる人はイエスの招きに応えて従いますが、律法学者たちのように「自分は正しい」と考え、自分が罪人だと自覚できない人は、イエスのもとに来ようとしないのです。彼らの中には「偽善」があり、戒めを守れない人たちを「罪人」と呼んで軽蔑し、さばいていました。しかし彼らこそ、悔い改めが必要な「罪人」でした。私たちも、この律法学者たちのように「自分は正しい」と思い込んで、他の人を裁いているようなことはないでしょうか。気を付けたいと思います。

5)イエスはすべての人を招いている
イエスは、そんなパリサイ人たちや律法学者たちのことも愛し、救われてほしいと願っておられました。生涯イエスに仕えて、大きな働きをしたパウロも、もともと熱心なパリサイ人でした。イエスは、すべての人を救いへと招いておられます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10) イエスは、神のもとから離れて、さ迷っている人々をあわれんで、何とかしてご自分のもとに取り戻したいと願っておられます。99匹の羊を野に残して、いなくなった一匹の羊を見つかるまで捜し求めた人のように(ルカ15章)、私たちを捜しておられるのです。

イエスは、私たちに「わたしについてきなさい」と呼び掛けておられます。このイエスの招きに、私たちはどう答えるでしょうか。一切をお任せして、イエス様にお従いしてまいりたいと思います。