主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカの福音書2:1-20 「最高のプレゼント」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「今日のダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカの福音書2:11)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエス・キリストがお生まれになったときの状況と、そのことがみ使いによって最初に羊飼いたちに知らされた出来事が描かれています。

1)イエス・キリストの誕生と羊飼いたちへの知らせ
ヨセフとマリアは、ローマ皇帝の命令により、住民登録のためにベツレヘムの町へと向かいます。しかし、ベツレヘムの町には泊まれる部屋はなく、仕方なく家畜小屋に泊まることになり、マリアはその晩男の子を出産します。彼らはこのみどりごイエスを「飼葉桶」に寝かせました。ちょうどその頃、ベツレヘムの郊外で野宿をしていた「羊飼いたち」に、救い主イエス・キリストの誕生の知らせが最初に届けられることになります。
当時、羊飼いたちの社会的な立場はとても低いものでした。仕事柄、人々が大切にしていた神への礼拝を守ることは難しく、遊牧生活のために町の人々との交流もあまりなかったようです。当時ユダヤを支配していたローマ政府も、遊牧民は住民登録の対象外としていたようです。そのために、彼らは人々からさげすまれていました。彼ら自身もそのことがよく分かっていて、神様の祝福などというものは、自分たちには関係のないことだと思っていたのかもしれません。そんな羊飼いたちに、神は、人々が昔から待ち望んでいた救い主が来られたことを最初にお知らせになったのです。
御使いは彼らに、この日、ダビデの町(ベツレヘム)で「救い主」が生まれたことを告げ(11)、その救い主は「みどりご」で、「飼葉桶」に寝かされていること(12)を知らせました。この「救い主」は、スーパーヒーローのような存在とは程遠い、「人間の赤ちゃん」であり、しかも「飼葉桶」に寝かされているというのです。そして、この「しるし」を頼りに救い主を捜しに行きなさい、と告げられました。

2)救い主を捜しに
この知らせを聞いて、羊飼いたちは救い主を捜しにベツレヘムの町に出かけます。「急いで行った」居てもたってもいられなかったようです。「救い主に会いたい」、その一心で出かけたのだと思います。彼らは、人々からさげすまれ、礼拝にも行けないような自分たちに、こんなにすばらしい知らせが知らされたことに驚いたことでしょう。大事な羊を野原に残して、ベツレヘムの町を一軒一軒訪ね歩いたことと思います。そうしてついに、「飼葉桶の救い主」を捜し当てます。彼らはイエスにお会いして、心から喜びました(20)。それは、それまで味わったことのないような大きな喜びであったと思います。神に覚えられている、愛されている、そんな何物にも代えられないような大きな喜びだったのではないでしょうか。

3)「飼葉桶」と「羊飼い」が意味すること
この出来事は、ただ単に、2000年前の遠い異国の地で起こった昔の話ではありません。今、ここに生きている私たちにも関係のあることです。神は、この「救い主」を私たちのために与えてくださいました。11節にある「あなたがた」には、私たち一人一人も含まれているのです。このことは、「飼葉桶」に寝かされたことと、最初に「羊飼いたち」に知らされたことに現わされていると思います。

「飼葉桶」は、私たち人間の心、人の世のことを現わしているように思います。私たちの心の中にも、飼葉桶のように、固くて、冷たくて、汚いところがあるのではないでしょうか。世の中では、実際に今も戦争が起きていて、人々が歩み寄れない現実があります。私たちの中にも、そうした罪の現実があると聖書は語っています。救い主は、そんなところに低くなって来てくださいました。神であるお方が、最低のところに飛び込んできてくださったということです。それは、そこで苦しんでいる人々と一緒になって苦しんで、そこから救うためにでした。イエス・キリストは、やがて大人になって、あの十字架で、人の罪をすべてその身に負って、人の罪に対する刑罰を代わりに受けることになります。

また神は、その知らせを最初に「羊飼いたち」に知らせました。エルサレムの王宮にいた人たちにでもなく、宗教指導者たちでもありません。最も貧しい、人の数にも数えられなかったような人たちに知らせてくださったのです。そのことは、神はすべての人にこの「喜びの知らせ」を届けたいと願われた、ということを意味していると思います。「家畜小屋」に生まれてきたからこそ、貧しい羊飼いたちもそのままで入ることが出来ました。そのように神は、すべての人を救いたいと願って、救い主イエスを遣わしてくださいました。その人にどんな過去があろうとも、どんな人であっても、ご自分のところへ来て救われてほしいと願われたのです。救い主イエス様は、私たちのところにも来てくださいました。それがクリスマスです。

4)神様からの最高のプレゼント
神様は、それほどまでに私たち一人一人のことを愛しておられます。人々からさげすまれ、喜びも希望も持てなかった羊飼いたちに目を留めて、すばらしい喜びを知らせてくださったように、私たちのことも神様は覚えておられます。神様はこんなにもすばらしい最高のプレゼントを私たちに与えてくださいました。
私たちは、このすばらしい神様からの贈り物を受け取る必要があります。せっかくの神様からのプレゼントも、「イエス様、お誕生日おめでとう」で終わってしまっては意味がありません。私たちが自分のものとして受け取ることを、神様は願っておられます。

この神様からの最高のプレゼントは、すべての人の前に差し出されています。あとは、両手を広げて受け取るだけです。感謝をもって、救い主イエス様を心にお迎えしたいと思います。そして、神様とともに、本当の喜びの人生を歩んでまいりましょう。