主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

イザヤ書9:6-7、ヨハネの手紙第一4:9-10 「神はひとり子を」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネの手紙第一4:9)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、クリスマスの出来事に現わされた「父なる神様の愛」ということについて思いを向けたいと思います。神が私たちのためにその「ひとり子」をお与えになったとは、どういうことを意味していたのでしょうか。

1)「ひとりのみどりご」が与えられる
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」(イザヤ9:6) イザヤの時代、北イスラエルはアッシリア帝国によって滅ぼされてしまいます。それは、彼らが真の神から離れて悪を行っていたために、その罪に対する神の裁きとしてなされたことでした。そのことが南ユダで活躍していたイザヤに示されます。しかし神は、その先にやがて回復する時が来る、という約束も与えられました。そのことが9章に記されています。その時、「ひとりの男の子が私たちに与えられる」というのです。「与える」ということは、与えてくださるお方が、自分の手から手放して与えてくださるということを意味しています。この預言のことばは700年後、イエスの誕生によって実現します。そのために神は、イエスをひとりのみどりごとして、ヨセフとマリアの手に託しました。神はひとり子イエスを、人間の赤ん坊として、この世界に遣わしてくださいました。「赤ん坊」は全く無力です。大切なひとり子を、そんな無力な存在としてこの世界に遣わし、田舎の無名の若夫婦にお任せになったのです。

2)万軍の主の熱心によって
では、その「みどりご」は、どんなお方になると言っているでしょうか。「「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」(6) これは、この方が神ご自身であることを示しています。さらに、ダビデの王座に着いて、その王国をとこしえに治めると言っています。このお方がこの世界を永遠に治める王となって、平和がもたらされるというのです。これもイエス・キリストが来られたことによって実現することになります。

 余談ですが、キリスト生誕の地であるベツレヘムは、今年はいつもと違ったクリスマスを迎えています。例年は多くの観光客でにぎわう町が、今年はイスラエルとハマスの戦争の影響で閑散としているそうです。ある教会では、クリスマスの展示として「飼葉桶のイエス」ではなくて、「がれきの中のイエス」が飾られているというのです。平和をもたらす救い主イエス様が来られたのに、未だに、しかもその生誕の地で、人々が憎しみ合っている現実があります。まさに、イエス様は今、がれきの中で人々と一緒になって苦しみ、祈っておられるのではないでしょうか。

 「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」(7) クリスマスは、「主の熱心(愛)」がなければ実現されませんでした。では、その「主の熱心」(愛)とは、どれほど大きな愛であったでしょうか。聖書は、「ひとり子をお与えになったほどに」と語っています。このことに関して、次にヨハネの手紙第一4章の方に目を留めたいと思います。

3)神はひとり子を
「神はそのひとり子を世に遣わし」(ヨハネⅠ4:9) 神にとって、イエスは「神のひとり子」と言える存在でした。イエスは造り主である神のことを「アバ父よ」と呼び、神はイエスのことを「わたしの愛する子」と呼びました。それは深い愛情で結ばれた関係と言えます。「ひとり子」という言葉には、「唯一無二の」、「ほかに代わりのいない」、「かけがえのない」、そんな意味合いが含まれています。父なる神にとってイエスは、かけがえのない、本当に大切なひとり子だったのです。神は、その大切な「ひとり子」を私たちにお与えになりました。神のひとり子を、その手から離して、限界のある人間の、しかも無力な赤ん坊としてこの世に遣わしてくださいました。これが、「クリスマス」の出来事です。

神は、なぜそこまでされたのでしょうか。「私たちの罪のために、なだめのささげ物としての御子を遣わされました。」(10) それは、「私たちの罪のために」でした。造り主である神を知らず、神に背いて自分勝手に生きていること、これが私たちの罪だと聖書は語っています。そして、すべての人はこの罪の奴隷のようになっているというのです。神は、その私たちの罪を赦し、罪の奴隷から私たちを助け出したいと願われました。罪は処罰されなければなりません。その罪に対する神の怒りがなだめられるために、ふさわしい「償い」が必要でした。そのためにささげられる物が「なだめのささげ物」です。しかし、罪を持っている私たち人間には、何も差し出せるものはありません。そんな私たちに代わって、神ご自身が、その「なだめのささげ物」となるものを差し出してくださいました。それが、「神のひとり子イエスのいのち」でした。イエス・キリストの十字架の出来事です。

「その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(9)神は、それほどまでに私たちのことを愛してくださいました。滅びに向かっている私たち人間を救い出すために、神は「とっておきの」「ほかに代わりのいない」「ひとり子」を遣わされたのです。

 神が大切なひとり子を与えてくださったほどに、私たちは愛されています。クリスマスに現わされたこの大きな恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。