主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ピリピ人への手紙4:8-9 「平和の使者として」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(ピリピ人への手紙4:9)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の個所には、パウロの最後の勧めの言葉が記されています。彼は最後にどんなことを勧めたのでしょうか。

1)善を求めること
パウロはまず8節で、心に留めるべきこととして8つのことを挙げています。①「すべて真実なこと」(嘘や偽りのないこと)、②「すべて尊ぶべきこと」(崇高なこと、立派なこと)、③「すべて正しいこと」(不正のないこと)、④「すべて清いこと」(汚れのないこと)、⑤「すべて愛すべきこと」(大切にすべきこと、美しいこと)、⑥「すべて評判の良いこと」(人に評価される良いこと)、⑦「何か徳とされること」(美徳とされること)、⑧「何か称賛に値すること」(人に褒められるようなこと)です。これらの8つのことは一言で言うならば「すべての良いこと」と言えます。誰の目から見ても「善」と言えることです。これらの「すべての良いこと」に「心を留めなさい」とパウロは勧めています。「心を留める」とは、そうした「良いこと」に心を向けて求めていくことです。そして、それが本当に良いことなのか、みことば(神が示しておられる基準)に照らしてよく考え、見極めることです。

しかし実際には、難しいと感じることかもしれません。なぜならば、私たちの周りにはモノや情報があふれているからです。中には私たちの欲望をくすぐるようなものも多くあります。そうしたものに心惹かれてしまって、「良いことに心を向ける」ということがどうしても後回しになってしまうのではないでしょうか。私たちの中には、罪の性質が残されています。罪の性質は「良くないもの」を喜びます。そして、誘惑を仕掛けてきます。実はパウロ自身も、このことで悩んでいたようです(ローマ7:18,19)。私たちの中にもそんな弱さがあるのです。それでもパウロは、良いことに心を留め、善を求め続けなさいと勧めています。このことを覚えて、意識して良いことに心を留めていきたいと思います。

2)善を行うこと
「あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。」(9a)。パウロはさらに、それらの善を「行うこと」を勧めています。心に留めるだけでなく、それらを「実行する」ことです。普段の生活の中でそれを実行しなさいというのです。パウロがイエスから受けた福音を実生活の中で「行う」ことです。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」(ヤコブ1:22)このみことばが思い起こされます。ヤコブは、みことばを実行することが大事だと言っています。「信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです」(ヤコブ2:17)とも語っています。ヤコブは、「信仰義認」を否定しているわけではなくて、本当の信仰には結果として行いが伴うべきだと主張したのです。確かにパウロも、信仰による行いの大切さを語っています。イエスを信じてキリスト者とされた者は、内側から変えられて、善を求め、イエスがされたようにそれを行動として表わす者とされていくのではないでしょうか。私たちも「みことばを実行する者」となりたいと思います。

3)平和の使者として
「そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(9b)。ここにはパウロのどんな思いが表わされているのでしょう?「平和の神」とは、「平和をもたらす神」とか「平安を与える神」ということです。そうすると、神様は私たちを通してこの世界に平和をもたらそうと願っておられる、ということではないでしょうか。パウロは、ピリピの教会のメンバー一人ひとりが、それぞれ置かれている生活の場でキリスト者として善を求め、実践することを願っていたと思います。それは、教会の中だけではなくて、教会の外の人たち、その地域でともに生活をする人たちとの関わりにおいても、ということです。普段の生活で関わる人たちとの間で福音を実践し、キリストの愛を表わしていくことです。信仰生活は決して「内向き」ではありません。
当時、ローマ帝国の支配下で人々は福音を聞いてキリスト者となりました。その社会では不正が横行していたり、不条理と思えることもあったようです。そんな社会でクリスチャンはまだまだ少数派でした。周りの多くの人々はキリストを知らない人たちです。パウロは、その普段置かれているところで、周りの人々との関わりにおいて、キリスト者としてこのように生きなさいと教えているように思います。平和の神があなたがたとともにいて助けてくださり、あなたがたの善き行いを通して平和をもたらしてくださると、励ましているのではないでしょうか。「いのちのことばをしっかりと握り、彼らの間で世の光として輝くためです。」(2:16) 私たちキリスト者は「世の光」だというのです。まさに、一人ひとりが今置かれているところで、「世の光」として輝く存在となることを神様は期待しておられます。

 私たちも、今それぞれ置かれているところがあります。家庭があります。職場があります。住んでいる地域があります。そこには普段関わる多くの人たちがいます。私たちは、そこに「平和の使者」として遣わされているのではないでしょうか。そこで私たちが良いことを求め、それを行い、キリストの愛を表わしていくことを通して、人と人との間の平和がもたらされ、人々の心に平安が与えられることを神様は期待しておられるのです。そのために私たちにどんなことができるでしょうか。ぜひこのことを心に留めて考えたいと思います。そして、具体的に行動で表わしていきたいと思います。