主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ピリピ人への手紙3:1-9 「人生の一大転換」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」(ピリピ人への手紙3:7)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所でパウロは、自分の人生の中で起こった「一大転換」と言えるような出来事について語っています。彼はどのように変えられたのでしょうか。

1)ユダヤ主義者たちに気をつけなさい
「最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。」(1) この呼びかけは、ピリピ教会の中に喜べない人たちもいたことを示しています。「犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。」(2)教会の中に人々を惑わす人たちが入って来ていたようです。彼らはイエスを信じて救われてもなお、「割礼」を受けなければ救われないと信じていたユダヤ人たちで、異邦人クリスチャンたちにも割礼を要求していました。彼らは形や伝統にこだわっていたのです。パウロはそのことを心配し、彼らに気をつけるようにと警告しています。そして、イエスに信頼する者こそが本当の意味での「割礼の者」(神との関係に入れられている者)だと述べています(3)。

2)肉に頼っていたパウロ
実は、パウロ自身、かつて「肉体だけの割礼の者」であり、「肉(人間的なもの)に頼る者」として生きていました(4)。ユダヤ人としての自分の生まれや血統を誇り、正しい生き方を求めて一生懸命努力しました。生まれながらの純粋なユダヤ人であり、名門の部族の出身で、ヘブル語を話す「生粋のユダヤ人」だと誇っていました。また、「パリサイ人」として、律法を誰よりも忠実に守り行い、教会を迫害していたのです。そうしてユダヤ人の誰からも一目置かれるような存在となりました。そんな自分を自負していました。

3)キリストに出会って人生が変えられる
ところが、キリストに出会ってその考えは全く変えられます。まさに、人生の一大転換が起こりました。「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」(7)これは、それまで大事にしてきたこと以上に価値あるものを見つけた、それが分かった、ということです。「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」(8a)イエスに出会い、イエスを知ったことは、彼にとって本当にすばらしいことでした。他のどんなこととも比べ物にならないほどに、はるかに価値あることだと分かったというのです。「私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」(8b)パウロは、それまで大事にしてきた「輝かしい経歴」を「これは自分にはもう必要ない」として、自ら「手放し」ました。

では、パウロにそこまで言わせた「キリストのすばらしさ」とは何でしょうか。以前のパウロは、神の前に正しく生きる自分を神様は愛し受け入れてくださると考え、聖く正しく生きるように努力しました。しかし、そんなパウロにダマスコへの途上でイエスが現われます。彼は三日間目が見えなくされ、イエスの深い取り扱いを受けます。そして彼は知りました。自分が迫害してきたイエスこそが自分が信じて従ってきた神であった、ということです。そして、イエスはこんな自分のことを赦し、受け入れてくださったとハッキリと体験として知ることができたのです。神様は、私たちがどうであれ私たちのことを愛しておられます。弱さがあっても、失敗しても、こんな私たちのことをあわれみ、いつくしんでおられます。イエス様はそういうお方です。パウロはこのことを心でしっかりと受け止めました。そのすばらしさのゆえに、それまで大事だと思っていたことが色あせて見えるようになったのではないでしょうか。

4)人生の宝物
それはちょうど、「人生の宝物」を見つけるようなことかもしれません。イエスが話されたたとえ話に、「宝物」のたとえがあります(マタイ13:44)。本物の宝物は、どんな犠牲を払ってでも惜しくないと思えるほど価値あるものです。パウロは、まさにその「人生の宝物」を見つけたのです。
私たちにとっての「宝物」とは何でしょう?人は、自分の宝物(世の幸せ)を手に入れようとして懸命に努力します。しかし、願ったようにならないこともあります。それを手に入れたとしても幸せを感じられるとは限りません。
イエスは、本当の宝物は「天の御国」だと言われました。私たちにとって本当に必要でどんなことよりも価値あることは、神様との関係に入れられることです。それは、私たちを造られた天の神様との関係を回復し、神様につながって、その大きな愛を実感しながら生きていくことです。そこには、心の安らぎと喜びがあります。そのために大切なことは、神の御子イエス・キリストを自分の救い主として心にお迎えすることです。

「私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。」(9) 「義」とは、神様から正しいと認めていただくことです。しかし、残念ながら人は自分で自分を正しいとすることはできません。神様の目から見たら、人とはそれほど不完全で弱い者だからです。それでも神様は、そんな人間を「義」としようとされました。そのために神のひとり子イエスを遣わしてくださいました。イエスは、すべての人の罪を代わりに負って、十字架で罪の償い(贖い)を成し遂げてくださいました。このイエスの贖いのゆえに、神様は人を義と認めてくださるのです。私たちに求められていることはただ一つ、この神様の恵みに応答することです。そして、イエスを自分の救い主として心にお迎えすることです。イエス様という、神様からのすばらしいプレゼントを感謝して受け取ることです。

神様のこの大きな愛は、すべての人の前に差し出されています。神様は、「あなたもこの恵みを受け取りなさい」と招いておられます。イエスを信じ、神とともに生きる人生は、世のどんなものにも代えられない本当に価値ある、すばらしい人生です。この感謝を忘れずに、イエス様とともに喜びの人生を歩み続けてまいりたいと思います。