主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ピリピ人への手紙2:12-18 「つぶやかず、疑わず」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」(ピリピ人への手紙2:13,14)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所では、「キリストの福音にふさわしく生活する」(1:27)こととして、3つ目の勧めがなされています。「自分の救いを達成する」とは、どういうことなのでしょうか。また、そのために何が大切なのでしょう。

1)自分の救いを達成するとは
「~恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい」(12)パウロは、イエスが御父に従われたように、あなたがたも従順になって自分の救いを達成するように努めなさいと勧めています。「自分の救いを達成する」とは、「一生涯かけてキリストに従い続けること」と言えると思います。罪赦され、救われた者として、この地上で息を引き取るその時までキリストに従い続けることです。それは、「神と人を愛する生き方を一生涯かけて実践していくこと」でもあると思います。旅には目指すべき目的地があるように、私たちの人生の旅路においても目指すべきゴールがあります。それは、イエス様のお姿です。私たちの人生を通して、イエス様の姿に少しずつ変えられていくことを目指したいと思います。試練や誘惑に会っても心を捕らわれずに、イエス様だけを真っ直ぐに見つめて前に向かって走り続けてまいりましょう(ヘブル12:1,2)。

2)自分の救いを達成するために大切なこと
では、私たちが自分の救いを達成するために(イエス様に従い続けるために)大切なことは何でしょうか?そのことが、今日のところに示されています。3点、確認したいと思います。

①まず一点目のことは、「恐れるべき方を恐れる」ということです。「恐れおののいて~努めなさい」(12)とあります。「恐れおののいて」というのは、「恐怖に震えて」ということではありません。「恐れるべき方を恐れながら」ということです。天地万物を造られた全能の神様をまことの神と認めることです。そしてこのお方の前にへりくだることです。大きな神様が分かると、自分がいかに小さなものであるか分かってきます。恐れるべきお方を恐れないとしたら、人だけを見て生きるようになってしまうでしょう。そうすると、人と比べて一喜一憂してしまいます。しかし、天の神様を認め、そのお方の前にへりくだって生きるならばその必要はありません。恐れるべきお方を恐れ、イエス様について行きましょう。

②次に二点目のことは、「イエス様と一緒に歩んで行くこと」です。「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(13)背後に神様が働いて、私たちに思いを与え、実行する力を与えてくださいます。イエス様が私たちとともにいて、人生を助け導いてくださいます。自分一人でがんばるのではありません。イエス様と一緒にゴールを目指して歩んで行くのです。
このところで一つ気を付けたいことがあります。自分の中にある思いや願いが本当に神から与えられた志なのか、それとも単なる自分の願いにすぎないのかどうかよく見極める必要があるということです。聖書からこのみことばだけを抜き出して、「神様は自分が今願っていることを後押ししてくれている、これは神様からのゴーサインだ」と、思い込まないようにしたいと思います。そのためにも、よく祈ることが大切です。
このことを心に留めて、イエス様とともに自分の行くべき道を歩んでまいりたいと思います。

③そして三点目のことは、「つぶやかず、疑わずにイエス様に従う」ことです。「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」(14)与えられた志を受け止めたら、つぶやかずに、疑うことなく実行したいと思います。神様の約束を信じてイエス様に従うことです。出エジプト記には、イスラエルの民が荒野での40年の旅の間、何度もつぶやいた姿が描かれています。エジプトでの奴隷生活から救い出されたことがどんなに大きな恵みであったかをすっかり忘れて、あれがない、これはいやだとモーセと神様を疑い、つぶやいたのです。荒野の旅は、私たちの人生の旅そのものを表わしているように思います。私たちもつい、つぶやいてしまいますね。自分に与えられているものや自分が置かれている状況に満足できずに、不平不満を言いたくなることはないでしょうか。人につぶやいたり、疑ったりすることもあるかもしれません。そんな私たちに神様は、「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行ないなさい。」と励ましておられます。神様は最善をなしてくださると信じて、つぶやかず、疑わずにイエス様に信頼して、人生の旅路を歩み続けてまいりましょう。

3)世の光として輝くため
「~彼らの間で世の光として輝くためです。」(16) ここに、自分の救いの達成に努める時にもたらされるものが示されています。私たちが置かれているところでイエス様に従い続ける時に、世の光として輝く者とされるというのです。夜空に輝く星々は、色も明るさも一つ一つ違います。そのように、私たち一人一人も、暗闇に輝いている星々のようなものなのではないでしょうか。イエス様に従っていく私たちの生き様が、暗い世の中にあって、イエス様を指し示す光とされていくのです。とは言っても、それは決して何か素晴らしいことをして人から尊敬されるとか、目立つようにということではありません。今、私たちがそれぞれ置かれているところで、「世の光」として輝く存在となるようにと神様は願っておられます。むしろ目立たないことかもしれません。誰にも気づかれないかもしれません。それでも、神様は私たちに目を留めてくださっています。

私たちの存在を通してイエス様のすばらしさが現される、そのようなものであり続けたいと思います。