主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカの福音書24:44-53 「イエスは天に上げられて」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしをしていてくださるのです。」(ローマ人への手紙8:34)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、よみがえられた後のイエスの姿に目を留めたいと思います。イエス様は、今どこで何をされているのでしょうか。このことについて聖書が何と言っているのかご一緒に見ていきたいと思います。

1)イエスは天に上げられた
今日の箇所には、イエスが、よみがえられてから40日間弟子たちと過ごして、大事なことを伝えて、最後に、彼らが見ている前で天に上げられた時の様子が描かれています。イエスは弟子たちに宣教命令を与え、聖霊を遣わす約束をされました。そうして、弟子たちを祝福して、天に上げられます。この時、弟子たちにとってはイエスとの別れの時であったにもかからず、彼らには大きな喜びがありました。彼らのうちに確信と希望があったからです。

2)イエスは神の右の座に着かれた
では、「イエスが天に上げられた」ということは、どんなことを意味しているのでしょうか。今日は特に三つの点に目を留めてみたいと思います。
まず一つ目のことは、「天に上げられたイエスは、神の右の座に着かれた」ということです。聖書は、天に上げられたイエスが「神の右の座に着かれた」と証言しています(マルコ14:62、Ⅰペテロ3:22、ローマ8:34など)。「神の右の座に着く」とは、神としての力とか権威が与えられて、その立場に着くことを意味しています。人となって低くされたイエスは、贖いを成し遂げて後、天の高いところに上げられ、神としての権威の座に着いて天と地を治めておられる、ということです。イエス様は今、この世界を治めておられます。今の世界を見渡すと、まだまだ平和な世界とは言えません。今はまだ、この世で悪の力が働くことが許されているからです。イエス様は、こんな世の状況を、忍耐をもって悲しんで見ておられるのかもしれません。それでも、すべてのことは、イエスの御手の中にあるのです。たとえ納得できないことがあっても、私たちのこともすべて分かっておられて、愛を持ってこの世界を治めておられるこのお方にお委ねしてよいのではないでしょうか。そこに、私たちの希望があります。

3)イエスは私たちのためにとりなしておられる
二つ目のことは、「天に上げられたイエスは、私たちのためにとりなしておられる」ということです。「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(ヘブル7:25) 「とりなす」とは、「間に立つ」ということです。イエス様は、私たちと父なる神様との間に立って、その間を取り持ってくださいます。私たちの声にならないような祈りも聞いてくださり、父なる神に届けてくださいます。そしてイエス様は、私たち一人一人のことを覚えて祈っておられます。ひと時も忘れずに、私たちの心に寄り添ってくださり、とりなしてくださっているのです。天と地の支配者である偉大なお方が、天の御座から、この弱い小さな私のために祈ってくださっています。このことを覚えて、力と励ましをいただきたいと思います。

4)イエスは私たちに聖霊を遣わしてくださる
三つ目のことは、「天に上げられたイエスは、私たちに聖霊を遣わしてくださる」ということです。「でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」(ヨハネ16:7) イエス様は天に上げられてから、助け主である聖霊を遣わすと約束されました。聖霊は、イエスを信じる者のうちに宿ってくださり、その人を助け、人生を導いてくださいます。聖霊は私たちの心に働いて、イエスのみ思いやみことばを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)。イエス様は、天の御座から私たちにこの聖霊を遣わしてくださっています。聖霊様が、信じる私たちのうちに働いて、私たちを助け励まし、間違いに気づかせ、正しいところへと導いてくださるのです。私たちのうちに聖霊が住んでくださることを信じて、聖霊様の助けを求めてまいりましょう。

5)喜びと希望が
このように、イエスが天に上げられたことの意味として以上3つの点から確認しました。私たちは、イエス様にこんなにも愛されて、心配されています。イエス様は、決して私たちから遠く離れたところにおられるのではありません。私たちとともにいて、私たちの人生に関わってくださいます。
イエスを天に見送った時、弟子たちは、悲しむどころか喜んでいました。なぜでしょう?イエスがこれからも、いつもともにいてくださると分かっていたからではないでしょうか。イエス様の約束を直接聞いて、見て、肌に感じて、イエス様がともにいてくださることを確信できたのだと思います。彼らの心には、大きな喜びと希望がありました。

今、私たちにも、この喜びと希望が与えられています。イエス様は、確かに生きて働いておられ、私たちの心にも、聖霊を通して語り掛け、働きかけてくださいます。私たちの人生は、このイエス様の大きな御手の中にあるのです。イエス様が私たちに寄り添って、一緒に歩んでくださいます。このことをしっかりと受け止めたいと思います。そして私たちも、あの弟子たちのように、イエス様とともにあることを覚えて、心から喜びたいと思います。