主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒12:24-13:12 「送り出す恵み」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい。」(使徒の働き13:2)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、バルナバとサウロがアンティオキア教会から宣教の旅へと送り出されていく、という出来事が描かれています。この時から、「パウロの伝道旅行」と呼ばれる大きな宣教の働きが始まっていきます。

1)アンティオキア教会の人々
アンティオキア教会には、様々な背景を持った人たちが集められていました。アフリカ人もいれば、ヘロデ王家の一人であった「マナエン」もいました。そして、エルサレム教会から遣わされたバルナバに、かつて教会を迫害していたサウロがいました。そのように、人種や国籍や身分も異なる人々が一緒に教会生活を送っていたのです。「教会」と訳されている言葉「エクレーシア」には「招集する、呼び集める」という意味があります。つまり、「神に呼び集められた者たちの集まり」、それが「教会」だというのです。性格や経歴や社会的な立場も異なる一人一人を神様が召し出して、それぞれの教会に集めてくださいました。

2)バルナバとサウロを送り出す
アンティオキア教会に、神は大きな使命を与えられます。聖霊が彼らに、バルナバとサウロを主の働きのために送り出すようにと告げたのです。それは、二人だけに与えられた使命ではなくて、教会全体に与えられた使命でした。教会の重要メンバーであったバルナバとサウロを送り出すということは、教会にとっては非常に大きな「痛手」となることであったはずです。教会は、神様からの大きなチャレンジを受けました。「そこで彼らは断食して祈り」そこで教会がしたことは、まず祈ることでした。教会全体で真剣に祈り、そして皆でその大きな召しを確認したと思います。そうして教会は、この最高の人材を、主の働きのために喜んで送り出すことを、全会一致で決議します。
この祈りの期間は、教会にとって非常に重要な時となりました。その時、一人一人が「あなたはどうするか」と問われて、このために自分には何ができるのかと、真剣に祈り求めたのではないでしょうか。その祈りと決意があってなされた「教会のわざ」であり、「神のわざ」でした。

3)キプロス島で
こうして彼らは宣教の旅へと送り出されて行きました。これが、「パウロの第一回伝道旅行」と呼ばれる旅となります。「彼らは聖霊によって送り出された」(4)聖霊が彼らの旅を導きました。自分たちの思いや計画だけによって決めたことでありません。彼らはまず「キプロス島」に向かいます。そこは、バルナバの出身地でもありました。この時彼らは、バルナバのいとこであり、後に「マルコの福音書」の著者となるマルコを助手として連れていました。
彼らはさっそく島のサラミスという町から入って、ユダヤ人の会堂を巡りながら福音を宣べ伝えて回り、パポスという町で、ローマから遣わされていた地方総督に出会います。そこで彼らの働きを妨害しようとした魔術師が盲目にされるという奇跡を目の当たりにして、総督はイエスを信じて信仰に入りました。異邦人であり、ローマの高級官僚であった人が最初の実として救われたのです。
「サウロ、別名パウロは」(9) このところから、サウロは「パウロ」として記されていきます。「サウロ」(偉大な王様)から、「パウロ」(最も小さな者)という名で呼ばれるようになるのです。彼の変えられた姿が、その名前に現わされているように思います。こうして、バルナバとサウロの宣教の旅は、大きな一歩を踏み出していきました。

4)送り出す恵み
最後に、今日の箇所を通して教えられることとして、一つお話ししたいと思います。それは「送り出す恵み」ということです。アンティオキア教会がバルナバとサウロを惜しむことなく送り出したことによって、世界宣教の働きが大きく動き出しました。もし彼らが、二人を彼らの手の内に留めていたら、福音が世界中に届けられることはなかったかもしれません。また、そのことは、送り出した側のアンティオキア教会にとっても大きな恵みとなったと思います。二人の世界宣教の働きによって多くの人々救われて、各地に教会が起こされていったことの知らせは、アンティオキアの人たちにとっても、大きな喜びと励ましになったことでしょう。また、このことで残された人たちが一つ思いにされていったと思います。皆で祈り合い、力を合わせて、アンティオキアの働きを担っていったのではないでしょうか。彼らが霊的に成長する機会となったと思います。

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」(伝道者の書11:1)このみことばが思い起こされます。自分に与えられている賜物を神様の御手にゆだねて、自分の手から放していく時に、豊かな恵みとなって返ってくるという、神様からのチャレンジです。私たちの賜物を、神様の働きのために大胆に差し出していく時に、その働きは大きく祝福されるのではないでしょうか。但し、神様へのささげ物は、神様からすでに受けている恵みに感謝して、その恵みに応えて自発的にささげられるべきものです。決して強制されてでもなく、義務的にでもなく、見返りを求めてでもありません。このことを忘れないようにしたいと思います。

神様は、「あなたの人生を、天地万物を造られた神の御手の中に預けなさい。何も心配しないで、あなたの人生を神に委ねなさい。そこに大きな祝福があるのだよ。」と呼びかけておられるのではないでしょうか。主の愛の御手に、私たちの人生を委ねてまいりましょう。