主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒8:26-40 「神に導かれて」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」(ローマ人への手紙8:14)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、7人の執事の一人であったピリポと、彼に出会った「ある人」の姿に目を向けていきたいと思います。

1)荒野行きを命じられる
エルサレムで起こった教会への迫害にもかかわらず、地方に散らされたクリスチャンたちによって福音は広まっていきました。ピリポはサマリヤの町で活躍し、大勢の人々がイエスを信じバプテスマを受けます。そんな矢先、主の使いから「立って、南へ行きなさい」と告げられます。そこは「荒野」でした。しかし彼は、素直にその命令に従います。そこで、「ある人」との出会いが備えられていたのです。

2)エチオピアの宦官との出会い
「すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた」(27) 彼は、エチオピアの女王様に仕える政府の高官でした。女王の全財産を任されるほど信頼を受けていた、位の高い役人で、「宦官」でした。彼は、イスラエルの神を敬い、はるばるエルサレムの神殿で礼拝をささげるために来ていたというのです。
彼はなぜ宦官になり、どのようにしてイスラエルの神を知り、信仰をもったのでしょうか。少し、彼の辿った人生に思いを馳せてみましょう。当時、外国から捕虜とか奴隷として連れて来られた人たちが宦官にさせられる場合が多かったようです。彼もそんな一人であったのかもしれません。おそらく、子どもの頃に選ばれて、宦官とするために、危険な去勢手術を受けさせられたのだと思います。
そんな彼がエチオピアでユダヤ教に接して、イスラエルの神のことを聞いて求道し、やがて神を信じたのでしょう。そこに、人生の希望を見出したのです。そうして、エルサレムに巡礼するために女王様に許可を願い出ます。彼女は彼の願いを聞き入れ、快く送り出してくれたのでしょう。片道千数百キロの長旅です。彼はそれほど信頼されていたようです。やがてエルサレムに着いて、神殿で礼拝をささげますが、彼は「異邦人の庭」と呼ばれる外庭までしか入れませんでした。そこには「隔ての壁」があったのです。彼はそこで「イザヤ書」を買い求め、帰り道、馬車に揺られながら熱心にイザヤ書を読んでいました。そこには、希望を感じさせる預言のことばがありました。そして、イザヤ53章の「苦難のしもべ」の箇所を読んでいた時に、ピリポが彼の前に現われたのです。

3)宦官の救い
「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」(31)宦官はピリポに教えを請い、彼はその疑問に答えるようにイエスのことを証ししていきました。宦官は、イエスを自分の救い主として心に迎え入れます。そして信仰の表明として、バプテスマを受けたいと願い出て、ピリポからバプテスマを受けました。そうして彼は、「喜びながら」エチオピアへと帰っていきました。こうしてこの宦官は救われて、福音が遠いアフリカにまで届けられたのです。

4)神の導きについて
最後に、今日の箇所から、「神様の導き」ということについて、3点ほど確認をしたいと思います。
①まず一点目は、「荒野への導き」ということです。神様がピリポを「荒野」へと導かれたように、神様は私たちを「荒野」へと導かれることもあるように思います。時には、「神様はなぜ、私をこんな苦しいところに置かれるのだろう」と思えることもあるかもしれません。それでも、そこにも私たちの思いを越えた神様のご計画と導きがあると受け止めたいと思うのです。私たちが「荒野」と思えるような状況に置かれることにも、何か意味があるのではないでしょうか。イスラエルの民は、エジプトを出てから40年の荒野の旅へと導かれました。しかしその間、彼らは飢えることも、服が擦り切れることもありませんでした。神様が守り、養ってくだったのです。そのように、荒野のただ中にあっても神の守りがある、ということを覚えたいと思います。そして、その時その時、導かれたところ、置かれたところで、神に信頼しながら、自分にできる精一杯のことをなしていきたいと思います。

②二点目のことは、「出会いへの導き」ということです。神様は、ピリポとエチオピアの宦官を引き合わせてくださいました。本来なら、決して出会うことのないはずの二人です。この「出会い」によって、宦官に「救いと、大きな喜び」がもたらされました。神様は、私たちにも様々な「出会い」を備えてくださっています。そして、そうした出会いを通して「イエス様との出会い」へと導いてくださいます。これからも、いろんな出会いが備えられているかもしれません。私たちもピリポのように、誰かの救いのために用いられることもあると思います。神様が備えられた一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。

③そして三点目は、「救いへの導き」ということです。神様は、すべての人が救われることを願っておられます。そのために、人を救いへと導こうとされます。但し、神様は人を操り人形のように操ることはなさいません。神様の導きを拒むこともできるわけです。「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです」(ローマ8:14) 神様は、聖霊を通して、私たちを正しいところへと導かれます。あのエピオピアの宦官は、神の導きを真剣に求め、その導きに素直に従いました。私たちも、神様の導きに従順でありたいと思います。そこに従う時に、本当の喜びと大きな祝福があります。このことを覚えて、神の御霊に導かれ、委ねつつ歩んでまいりましょう。