主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒5:1-11 「ささげる心」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」(Ⅱコリント9:7)

【礼拝メッセージ要旨】

迫害にもかかわらず、多くの人たちがイエスを信じ教会に加えられ、教会の中では麗しい交わりと分かち合いの生活がなされていました。そんな順調と思えた時、教会を揺るがすような大きな事件が起こります。

1)アナニヤとサッピラ
今日の箇所には、ちょっと「厳しすぎる」と思えるようなショッキングな出来事が描かれています。ある時、アナニヤとサッピラの夫婦は、土地を売った代金の一部を自分たちのために取っておいて、残りを使徒たちのところに持ってきました。ところが、彼らはペテロから強く非難されてしまいます。夫のアナニヤに「あなたは聖霊を欺き、神を欺いたのだ」(3,4)と告げます。売った代金をどう使うかは彼らの自由でした。一部を自分たちのものとして取っておいたことが問題だったのでなく、売った代金のすべてをささげたと偽ったことが問題とされたのです。それは、神を欺く罪とされました。アナニヤはその場で息絶えてしまいます。3時間後、何も知らずに入ってきた妻のサッピラがペテロに問われて、その値段で売ったと偽りを述べて、彼女もその場に倒れて息絶えてしまいます。こうしてアナニヤ夫婦は非常に厳しいさばきを受けることになりました。

2)彼らの問題点
彼らはどうしてこんなことをしてしまったのでしょうか。おそらく、先にバルナバが自分の土地を売った代金を教会にささげたのを見て、自分たちもよく思われたい、尊敬されたいという思いが働いたようです。彼らは、バルナバと「比べた」のです。その動機に、何か「見返り」を求める思いがあったのではないでしょうか。そこに問題がありました。神は、そんな彼らの心の思いをすべてご存じでした。また、夫婦で悪い方へ歩調を合わせてしまったことも問題でした。歯止めとなっていなかったのです。

3)「ささげる心」について
この出来事は、「ささげる心」について、私たちに大事なことを教えているように思います。礼拝や献金や奉仕をささげることも、人のために何かを与えることにおいても、「ささげる心」が問われます。そこで、コリント人への手紙第二9:7を中心に、大事なことを4点ほど確認したいと思います。
①第一点目は、「自発的にささげる」ことです。「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」義務感からでも、強制されてささげるのでもありません。私たちが自ら望んで、自発的にささげる時に、神様はそれを喜んで受け取ってくださいます。

②第二点目は、「人と比べる必要はない」ということです。私たちは、つい人のことが気になるものです。人と比べてしまうわけですね。しかし、神様の前にはそんな必要は全くありません。人のことは気にしないで「私はこれをささげます、ここまでです。」という思いでささげられたら、それでいいのではないでしょうか。

③第三点目は、「ただ、神様との約束で決める」ということです。「心で決めた通りにしなさい」祈って、神様との約束で決めることです。そして、一度決めたら、それを実行することです。途中でやめたりしないで、責任を持って続けたいですね。

④そして、第四点目のことは、「喜んでささげる」ということです。「神は喜んで与える人を愛してくださるのです」そこに喜びがあるか、問われているように思います。献金や奉仕は、神様から受けている恵みに対する感謝のささげものとしてささげられるべきものです。神様の恵みが分かるからこそ、感謝に溢れて心から喜んでささげることができるのではないでしょうか。一度ささげたら、「自分のなすべきことをしただけです」と言って、喜んで手放したいと思います。そこに何か見返りを求める思いはありません。人のために与えることや何かをすることにおいても、その人のことを思い、心から喜んで与えることができたら素晴しいですね。こうしたことを心に留めて、心から喜んで神にささげ、人に与える者となりたいと思います。

4)神様は厳しすぎる?
それにしても、アナニヤとサッピラに下された処罰はあまりにも厳しすぎるような気もします。確かなところは分かりませんが、生まれたばかりの教会から罪を取り除くために、特別に神がなされたことだったのかもしれません。しかし、一つハッキリと言えることは、この事件を通して教会全体に「恐れ」が生じた、ということです。教会が祝福を受けつつある中で、神を神として認め、正しく恐れ敬う、そして神に従う。そのことを大事なこととして、皆で確認できたのではないでしょうか。また、この箇所だけをとらえて、神は実に厳しく恐ろしいお方だと受け止めるべきではない、ということも心に留めたいと思います。神様は、大切なひとり子を私たちの身代わりとしてささげてくださったほどに、私たちをこよなく愛しておられるお方です。このことを忘れないでいたいと思います。

神様は、私たちの心をご覧になります。そのことを覚えて、神様の前にいつも正直でありたいと思います。そして、感謝と喜びをもって、神と人に仕えてまいりましょう。