主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒4:1-12 「ここに救いがある」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

【礼拝メッセージ要旨】

聖書を読んでいくと、「救い」という言葉が実にたくさん出て来ます。では、その聖書が語っている「救い」とは、どういうことなのでしょうか。

1)宮で捕らえられるペテロたち
足がいやされた人が宮の中で神を賛美しているのを見て、驚いて集まった大勢の人々を前にして、ペテロはイエスのことを証ししました。すると、祭司たちがやってきて、ペテロとヨハネを捕らえて、翌日まで牢獄に入れてしまいます。彼らには、イエスのよみがえりは到底受け入れられないことでした。それでもペテロの話を聞いてイエスを信じる人たちの数がさらに膨れ上がりました。

2)ペテロのあかし
翌日、ユダヤ人指導者たちの議会が招集され、ペテロたちは裁判を受けることになります。イエスが大祭司の家で裁判を受けたその場で、今度はペテロたちが立たされたのです。しかしペテロは聖霊に満たされて、ひるむことなく堂々とイエスを証ししました。そして、こう言いました。「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった」(11)「要の石」とは、アーチ状の建物を建てるために石を下から積み上げていって、一番上の部分に入れるくさび形の石のことです。最後にこの石を入れることにより、建物全体はつなぎ合わされ、しっかりと固定されます。つまり、「要の石」というのは、下から支える石ではなくて、「上から支える」石、しかも、全体を「つなぎ合わせる」石ということになります。一度は「規格外」として捨てられた石が、実は、その建物にとって一番重要な、なくてはならない「要の石」となったというのです。これは、ユダヤ人たちに捨てられて十字架につけられたイエス・キリストこそが、彼らにとって必要な「要の石」、つまり昔から約束されていた「救い主」であることを示しています。

イエス様は、「要の石」として、真ん中にあってつなぎ合わせるお方(神様と人を、そして人同士をつなぎ合わせる)であると言えます。そして、上から支えてくださるお方です。「教会」の真ん中にイエス様が「要の石」となっていてくださって、しっかりとつなぎ、支えてくださっているのではないでしょうか。私たちの中で、イエス様がなくてはならない「要の石」となっているか、常に確認をしていたいと思います。

3)イエスこそが唯一の救いの道
「この方以外には、だれによっても救いはありません」(12)「救い」とは、神様につながること」とも言えます。神様に受け入れられ、つながっていてこそ、人は本当の心の平安、安らぎを得ることができるのです。そのために人に求められていることは、神が遣わされた救い主、イエス・キリストを自分の救い主として心にお迎えすることです。人は、どんなに立派な人であっても、自分の良い行いや努力によっては救われることはできません。旧約聖書に出てくるユダヤ人たちの姿は、まさにそのことを示しています。それほど人は弱く、不完全なものだということを聖書は物語っています。しかし神様は、そんな私たち人間のことを本当に心配し、憐れんでくださいました。そして、罪の奴隷となって苦しんでいる人間を、何とかして苦しみから解放し救いたいと願われました。そのために、神のひとり子イエス・キリストを人としてこの世界にお遣わしになられたのです。イエス様は、十字架ですべての人の罪を代わりに負って死なれ、死に打ち勝ってよみがえられました。
このイエス様を自分の救い主として信じるならば、神様はその人を受け入れてくださいます。神様につながる、ということです。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(ヨハネ14:6) イエス様こそが、救いに至る唯一の道なのです。ここに、本当の救いがあります。

私も、30歳の時に、イエス様を心にお迎えしました。このお方に自分の人生をかけてみようと、信じて飛び込んだわけですね。それでどうだったでしょうか。やっぱり、そのとおりでした。いつも神様につながっているという喜びと平安と希望が与えられました。それは今も変わりません。神様は、本当に真実なお方です。

 イエス様は、私たちを神様につなぐ「要の石」として私たちのところに来てくださいました。私たちの罪のために十字架で死なれ、よみがえられたイエス様こそ、唯一の救いの道です。ここに、本当の「救い」があります。この確信にしっかりと立って、イエス様とともに歩み続けてまいりましょう。