主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒3:1-10 「金銀にまさるもの」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒3:6)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、生まれつき足の不自由な人のいやしの出来事が描かれています。彼の心にどんな変化がもたらされたのでしょうか。

1)生まれつき足の不自由な人
ペテロとヨハネが祈りのために主の宮に上ると、ちょうどそこへある一人の男性が運ばれてきました。彼は、生まれつき足の不自由な人で、毎日神殿の門のところに置いてもらって、通りかかる人々から施しを受けて生活をしていたようです。彼は障がいがある、ということで差別され、神殿の中に入ることも許されていませんでした。彼の中には、希望や喜びと言えるものはなかったかもしれません。その日一日を生きることで精一杯だったでしょう。
この人の姿は、世の中の多くの人の現実の姿を表しているように思います。体が不自由でなくても、生きる意味が分からずに、空しさを感じながら生きている人は少なくないのではないでしょうか。たとえ多くの富を持ち、多くの友人に囲まれていたとしても、喜びや希望を持てずに空しさを感じながら生きている人もいるように思います。伝道者の書の作者と言われるソロモン王もそんな一人でした。人が望むすべてのものを手に入れても、彼の心は満たされず、「すべては空しい」と告白しています。

2)ペテロとヨハネとの出会い
彼はペテロとヨハネを見つけて、いつものように施しを求めます。そんな彼にペテロは目を留めて、「私たちを見なさい」と言いました。彼の目を見て、真剣に関わろうとしたのです。ほとんどの人は、この人に関心をもつことはなかったでしょう。「人と関わる」ということは、その人のことに関心を持って、その人と面と向かって関わろうとすることです。「愛」の反対は、「無関心」だとも言われます。私たちはどうでしょうか。関わるべき人とちゃんと関わり持っているか問われているように思います。

「何かもらえるだろう」と期待した彼に、ペテロはこのように告げます。
①「金銀は私にはない」
「たとえ私が金銀を持っていてあなたにあげたとしても、それはあなたにとって根本的な解決にはならない」、「あなたにとって本当に必要なものはほかにある」と言いたかったのではないでしょうか。
②「しかし、私にあるものをあげよう」
「私にあるもの」それは「イエス・キリスト」です。ペテロは、イエスが自分にとって「金銀にはるかにまさる価値あるもの」であることがよく分かっていました。それをあなたにもあげよう、というのです。
③「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」
「イエス・キリストの名によって」とは、「イエス・キリストが神として力と権威を持つお方であることを信じる」ということです。「ここに、あなたにとって本当に必要な救いがある。希望がある。イエスを信じて、それを受け取りなさい。」と呼びかけました。

3)呼びかけに応えて立ち上がる
この呼びかけに彼は応えます。ペテロに手を差し出し、イエスの名を信じて立ち上がろうとしました。その時、彼の足が強くされて、立ち上がることができたのです。「躍り上がって立ち、歩き出した」彼の喜びが感じられます。自分の足で立って歩けたことの喜び以上に、罪赦されて神様のものとされたという喜びと感謝に溢れていたのではないでしょうか。この時、彼の人生は大きく変えられました。イエスにある喜びと希望が与えられたのです。そうして彼は、神を賛美しながら二人と一緒に宮に入って行きました。いやされて、それまでは入ることが許されていなかった門の中に入ったのです。
この門の扉は、今、すべての人に開かれています。神様につながる門が、すべての人のすぐそばに開かれています。イエス様を通って、誰でも神様につながることができるようにされました。

4)人々の驚きと救い
この人の変えられた姿を見て、人々は驚き、大勢の人が集まります。そこでまたペテロが力強くイエスを証しし、さらに多くの人々がイエスを信じて救われました。

この生まれつき足の不自由だった人は、「金銀にまさる」価値あるものを受け取りました。そして彼の人生は変えられました。私たちにも、このすばらしい価値あるものが与えられています。それは、イエス様です。私たちの罪のために十字架で死なれ、よみがえられたイエス様は、私たちとともにいてくださり、生きる力を与えてくださいます。イエス様にこそ、変わることのない希望があります。このことにいつも目を留めていたいと思います。そしてこれらからも、イエス様と共に歩んでまいりましょう。