主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒2:40-47 「喜びと真心をもって」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、最初の教会の様子が描かれています。このところに、教会の本来あるべき姿が表わされています。今日は、この最初の教会の姿に学びたいと思います。

1)最初の教会でなされていたこと
イエスの弟子たちに約束の聖霊が下り、ペテロの力強いメッセージを通して3,000人が仲間に加えられ、最初の教会が誕生しました。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた」(42)ここに彼らが行っていた4つのことが記されています。
①一つ目は、「使徒たちの教えを守っていた」ということです。
使徒たちがイエスから直接聞いた教えを教え、みんなで学び、それらの教えを「守って」いました。ただ聞くだけでなくて、生活の中でイエスの教えを実践していたのです。聖書は、私たちの生きる基準であり、人生の指針です。一緒にみことばを味わって分かち合うことは大きな恵みとなります。

②二つ目は、「交わりを持っていた」ということです。
彼らは、一緒に集まって、「交わり」をしていました。それは神様を中心とした交わりです。そして、彼らは「共有」していました (44)。そこには、イエス様を真ん中に置いて、お互いに慰め合い、励まし合うような麗しい交わりの姿がありました。たとえぶつかり合うようなことがあっても、イエス様を真ん中に置いて赦し合う、ということがなされていたのではないでしょうか。ここに、教会の交わりのスピリットがあるように思います。私たちの交わりも、いつもそのようなものでありたいと思います。

③三つ目のことは、「パンを裂いていた」ということです。
彼らは感謝の礼拝をささげ、イエスの言葉に従い、主の晩餐を執り行ったようです。以来教会は、イエス様の十字架の恵みを忘れないように、礼拝の中で定期的にこの主の晩餐を取り行ってきました。今はコロナ禍にあって難しい状況にありますが、イエス様はこの私の罪のために十字架でその身を裂かれ血を流された、という大きな恵みを忘れないように心に刻んでいたいと思います。

④そして4つ目のことは、「祈りをしていた」ということです。
教会が心を合わせて祈りをささげて行く時に、それは大きな力となって働きます。私たちも、この祈りの力を信じて、心を一つにして祈り続けてまいりましょう。

2)そこに集っていた人々の思い
では、最初の教会の人たちは、どんな思いで教会生活送っていたでしょうか。「喜びと真心をもって食事をともにし」(46)ここに、彼らの思いがよく表わされています。
①まずは、「喜びがあった」ということです。
彼らは喜んで自発的に一緒に集まっていました。彼らの中に「罪赦され、神のものとされた」という喜び、「神に愛されている」という喜び、そして、「励まし合える信仰の仲間がいる」という喜びがあったからではないでしょうか。私たちの中にもこの大きな喜びがあることをいつも覚えていたいと思います。

②もう一つのことは、「真心をもって」ということです。
「真心」と訳されている言葉は、「純真な心」とか、「寛容な心」とも訳されます。お互いに信頼し合い、違いを認めて受け入れ合う寛容さがありました。それは、隔ての壁を打ち破るイエス様の十字架のみわざと、聖霊の働きによるものです。私たちも、この「真心をもって」お互いに支え合い、仕え合ってまいりたいと思います。

3)その結果もたらされたもの
そんな誕生したばかりの教会を、周りの人たちはどのように見ていたでしょうか。「民全体から好意をもたれていた」(47) 教会が毎日一つ所に集まって神のことばを教え、麗しい交わりをし、神を賛美し、熱心に祈っている姿を見ていて、少しずつ人々の見る目が変わっていったようです。やがて好感を持たれるようになり、ついには、仲間に加わり、救われる人たちが起こされていったのです。「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」(47)彼らは、何か特別に伝道集会を開いたとか、一生懸命トラクト配布をしたわけではありません。ただ、一緒に集まって、心からの礼拝をささげ、喜びと真心をもって仕え合っていました。そんな彼らの姿が、周りの人たちへの自然な「あかし」となっていったようです。家族や地域の人たちとの普段のかかわりを通して、彼らの喜んでいる姿や、イエスの教えを生活の中で実践している姿、そんな彼らの「生き様」が、人々への良い証しとなって、人々の心を動かしたのではないでしょうか。私たちも、普段の家庭生活や仕事を通して、また地域社会の中で、イエス様を信じて生きる私たちの姿が、家族や周りの人々へのよい証しとなれたらいいな、と思います。そして、神様の前にへりくだりながら、人々の救いのために自分にできることをなしていきたいと思います。

この最初の教会の姿に、私たちは多くのことを教えられ、そして励まされます。私たちの教会はどうでしょうか。ここにある「教会の本来あるべき姿」を確認しながら、喜びと真心を忘れずに、共に教会生活を送ってまいりましょう。