主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒1:12-14 「心を一つに」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」(使徒1:14)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエスが天に上げられた後、約束の聖霊が与えられるまでの間の弟子たちの姿が描かれています。その間、彼らは何をしていたでしょうか。

1)まず「集まった」
まず彼らがしたことは、「一緒に集まる」ことでした。そこには、どんな人たちがいたでしょうか。
まず、「イエスの弟子たち」です。11人の弟子たちがイエスの命令を守ってエルサレムに留まって「屋上の部屋」に集まりました。彼らは、ガリラヤの漁師たちであり、取税人だった者もいれば、熱烈な愛国主義者もいました。様々な背景を抱えた者たちです。彼らは、よみがえられたイエスの取り扱いを受けて、悔い改め、赦されて、再び集められていたのです。
また、「女性たち」も集まっていました。イエスを慕ってガリラヤからついてきた女性たちです。彼女たちは、イエスを見捨てることなくイエスの十字架を見守り、三日目の復活の朝にはイエスの墓を訪ねました。弟子たちよりも、イエスを愛し、忠実に従っていたと言えるかもしれせん。
そして、「イエスの家族」もそこにいました。母マリアとイエスの兄弟たちです。マリアは、イエスの母として誕生の時からイエスと一緒にいて、十字架の死の時にもそばから離れずに見守っていました。兄弟たちは最初、イエスをメシヤだとはなかなか信じられなかったようですが、よみがえられたイエスに出会い、変えられていきました。

このように、イエスが天に上げられたあと、様々な背景を持つ人たちが一緒に集まっていました。まさに、「多様な」人たちです。そして、彼らが「教会」を形作っていくことになります。私たちも、それぞれに人生のある時にイエス様に出会い、招きに応えてイエス様に従うものとされて、教会に加えられました。「イエスを信じる者たちが共に集う」ということは、とても大事なことです。二人でも三人でも集まれば、そこにイエス様はおられます(マタイ18:20)。

2)そして「祈った」
そうして一緒に集まった彼らは、そこで何をしていたでしょうか。「いつも心を一つにして祈って」いました。20人ほどの「祈りの輪」がそこにできていたと思われます。聖霊が与えられるというイエスの約束を信じて、一緒に祈りながら、その時が来るのを待ち望んでいたのです。そしてさらに、その祈りの輪は少しずつ大きくなっていったようです。「120人ほどが一つになって集まっていた」(15)一度イエスから離れた人たちが一人また一人と加わったのでしょう。10日ほどの間に、120人もの大きな祈りの輪となっていました。そこで、信仰による真剣な、一致した祈りがささげられていました。「共に祈る」ことは、大きな恵みです。この小さな祈りの輪から「教会」は始まったと言えます。そして、やがて約束の聖霊が遣わされることになります。

3)祈りについて
最後に、彼らが祈った姿から、「教会の祈り」について考えてみたいと思います。それはどのような祈りだったでしょうか。特に3つの点に目を留めたいと思います。

①第一点目は、「信じて祈る」ということです。彼らは、神の約束は必ず実現すると信じて祈りました。彼らが信じた根拠は、イエスがよみがえられたことにありました。復活の主に、確かな希望を抱いたのです。
私たちも、私たちの罪のために死なれて、罪と死に打ち勝ってよみがえられたイエス様がともにいて、私たちの祈りを聞いてくださっていると信じて、ここに確かな望みを置いて、祈ってまいりたいと思います。

②第二点目は、「祈り続ける」ということです。彼らは、聖霊がいつ与えられるかは分かりませんでしたが、必ず約束は実現すると信じて、「いつも」祈りに励んでいました。あきらめないで熱心に祈り求めたのです。
私たちも、彼らの祈りの姿勢にならいたいと思います。私たちの祈っていることが、すぐに聞かれるとは限りません。それでも、みこころならば必ず聞かれると信じて、あきらめないで祈り続けてまいりましょう。

③そして第三点目のことは、「心を一つにして祈る」ということです。心を合わせて、一つ思いになって祈ることです。実は、弟子たちが心を一つにして祈っていたという事実は驚くべきことでした。それまでは、お互いに張り合い、足を引っ張り合って、挙句の果てにイエスを見捨てて逃げ出してしまう、そんな情けない弟子たちでした。そんな彼らがこの時、一つ思いになって祈っていたというのです。彼らは、どうして一つ思いになれたのでしょうか。一人一人がイエス様のお取り扱いを受けて、十字架の赦しを自分のこととして体験したからです。また、イエス様のとりなしもあったと思います。

教会の祈りは、「心を一つにして祈る祈り」です。私たちの祈りはどうでしょうか。一つ思いになって、心からの祈りをささげていきたいと思います。そのためにも、イエス様から受けた十字架の恵みの大きさを、自分のこととして常に確認していきたいと思います。
心からの一致した祈りがささげられる時に、教会の祝福があります。これからもお互いのことを覚えて、心を合わせて祈り続けてまいりましょう。