主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

イザヤ書53:1-3, ヨハネ12:37-43 「痛みを知る救い主」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。」(イザヤ書53:3)

【礼拝メッセージ要旨】

今日はレントに関連して、イザヤ書53章とヨハネ12章から学びます。このところには、人々からさげすまれ、拒絶されたキリストの姿が描かれています。そのことにはどんな意味があったのでしょうか。

1)イザヤに示された預言のことば
イザヤ書は、紀元前700年頃に南ユダ王国で活躍した預言者イザヤが記したものです。この書の中に散りばめられるように、将来イスラエルを救う救い主(メシヤ)が現われて平和をもたらすという約束が記されています。その「救い主」の預言が、700年後、神の御子イエス・キリストによって実現することになります。そして、その「救い主」がどのように人々の救いを成し遂げられるのかということが、53章に描かれています。

2)捨てられる救い主
イザヤに示された「救い主」とは、どんなお方だったでしょうか。53:1-3節には、その「救い主」のことを人々はどう見ていたか描かれています。「だれが信じたのか」(1)人々から受け入れてもらえない「救い主」の姿が浮かび上がってきます。「砂漠の地から出る根のように育った」(2) 人々から注目されることもなく、地味に目立たない存在として貧しく育った様子が表されています。まさに、「家畜小屋」で生まれ、「飼い葉おけ」に寝かされ、辺境の小さな田舎町ナザレで育ったイエス様の姿です。「見とれるような姿もなく、輝きもなく、~見栄えもない」(2)実に格好の悪い、みすばらしい姿に見えます。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ」(3)人々から拒絶され、厄介者のように扱われています。ここに、「捨てられる救い主」の姿が描かれています。このように、神から遣わされる救い主は、格好が悪くて、人々から受け入れられずに捨てられる、というのです。これが、イザヤに示された「救い主」の姿でした。当時のユダヤ人たちがこれを聞いて、こんな弱々しくて頼りない人が「救い主」だとは、誰も信じられなかったでしょう。
この救い主の姿は、イエス様の姿そのものを表わしています。「彼らはイエスを信じなかった」(ヨハネ12:37)ユダヤ人の指導者たちは、イエスを信じようとはしませんでした。イエスによってイザヤのことばが成就したのです (38)。

3)イエスが拒絶された理由
ユダヤ人たちはどうしてイエスのことを信じることができなかったのでしょうか。その理由として3点ほど挙げてみたいと思います。
①一つは、「手放せないものがあった」ということです。イエスが律法の戒めを破り、勝手なことをしていると見えたことが許せなかったようです。イエスは、律法の本当の意味は、「神を愛し、人を愛すること」この2つに要約されると教えられました。しかし、彼らは律法の本当の意味を理解できずに、偽善を行ない、人を裁いていたのです。彼らは自分たちの思いに固執して、イエスを受け入れられませんでした。私たちも、何かに固執して、神様に明け渡せないでいることはないでしょうか。

②二つ目は、「人を恐れた」ということです。指導者たちの中にも、イエスを信じる者たちがいました(42)。しかし、彼らは人を恐れ人目を気にして、公に告白することができませんでした。「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである」(43)。人を恐れて、イエス様に従うことを躊躇していることはないか、と問われているようにも思います。

③三つ目は、「イエスに失望した」ということです。イエスが指導者たちによって捕らえられ、裁判にかけられるようになると、人々の心はイエスから離れていきます。そんなイエスの無力な姿に失望したのです。都合が悪くなると、多くの人々は簡単にイエスを見捨てました。弟子たちでさえもそうでした。状況がどうであれ、イエス様に信頼してついていきたいと思います。

4)痛みを知る救い主
では、「捨てられた救い主」には、どんな意味があったのでしょうか。「悲しみの人で病を知っていた」(イザヤ53:3)イエス様は、「悲しみの人」(痛みを知る人)だと言うのです。イエス様は、「痛みを知る人」、つまり、私たちの痛みを知っておられる、ということです。イエス様は、人々から理解されず、さげすまれ、そして見捨てられました。ご自身がそのことを経験されたのです。そうされたことで、同じように「痛んでいる人々」の思いが分かっておられる、ということではないでしょうか。イエス様は、ご自身が苦しまれたからこそ、私たちの受ける苦しみもすべて分かってくださるのです(ヘブル2:18)。人から信じてもらえない苦しみ、理解してもらえない苦しみ、受け入れてもらえない苦しみというのは、本当に辛いものです。いくら言葉を尽くしても、相手に分かってもらえない、届かない、ということもあると思います。イエス様は、そんな私たちの苦しい思いも全部分かってくださって、受け止めてくださるのではないでしょうか。「あなたのその辛い気持ち、分かるよ」と言ってくださるように思うのです。

「捨てられた救い主」の姿には、そんな意味が現わされていると思います。イエス様は、私たちの痛みを知ってくださる、このことを覚えて、感謝をおささげしましょう。