主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨナ書4:7-11 「主のあわれみは尽きない」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない12万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(ヨナ書4:11)

【礼拝メッセージ要旨】

今回でヨナ書の最終回となります。神様は最後に、「あるもの」を備えて、ヨナに大事なことを教えようとされました。

1)ヨナの怒りの根本にあったもの
神がヨナに一本のとうごまを与えられた時、ヨナはどんな思いで受け止めたでしょうか。もしかすると、「神は私の思いを分かってくれて、認めてくれた」、という思いになっていたのかもしれません。自分のこれまでの働きに対する報いとしてこのとうごまを与えてくださったと、受け止めたのではないでしょうか。もしそうだとすると、ヨナの怒りの根本にあったものは、ニネベの町へのさばきが下されないことへの不満よりも、神が自分を認めてくれていないということへの不満の方が大きかったのかもしれません。彼の「承認欲求」が満たされていなかったように思われます。

2)取り去られたとうごま
神は、「一匹の虫」を備えて、彼が大事にしていたとうごまを一夜で取り去ってしまいます。こんな取るに足りないような小さな虫が、ヨナの心を大きく揺さぶることになります。神様はご自身のみこころをなさるために、様々なものを用いられます。どんな小さなものでも、神様のご用にために大きく用いられるのです。こんな小さな私たちのことも、神様はみこころのままに用いてくださいます。
そのとうごまはヨナの慰めであり、心の拠り所となっていました。その大切なものをたった一日で失ってしまいます。焼けつくような暑さにヨナは衰え果て、また神に怒りをぶつけます。彼の心は周りの状況に左右されていました。そのとうごまは、もともと無かったものです。それが取り去られた時に、ヨナはそのとうごまを惜しみ、怒りました。彼はいつしか、それは自分の力で得たもの(自分のもの)、という意識を持つようになったのかもしれません。しかしそれは、ヨナの働きに対する「報い」として与えられたものではなく、神の「恵み」によって与えられたものでした。「報い」と「恵み」は全く違います。「恵み」は、自分の行いや働きに全く関係なく、神がみこころのままに与えてくださるものです。ヨナは、そのことが分かっていなかったようです。そして、そのとうごまに執着し、「神はなぜ私の大事なとうごまを取ってしまったのか?」と怒ったのです。このヨナの姿は、私たちの姿でもあるように思います。私たちが今持っているもの、命も体も能力もこれまでの人生で築き上げてきたものも家族も、すべて神の恵みによるものです。それなのに、いつしか「自分で得たもの」、「自分のもの」という思いになって、それらを与えてくださった神様よりも大事なものとしてはいないでしょうか。

3)とうごまが取り去られたことの意味
ヨナは当然のことのように怒り、納得できない思いを正直に神に訴えます(9)。そんなヨナに、神は丁寧に答えています(10,11)。このところに、神がとうごまを与え、そして取り去られたことの意味が表わされているように思います。その意味について、2つの点から考えてみたいと思います。

①まず一つは、「神がどれほどニネベの町をあわれんでおられたかを教えるため」でありました。ヨナは、自分で何の苦労もせずに手に入れたこのとうごまを愛し、いとおしく思うようになります。そして、それがたった一日で枯れてしまった時、彼はそれを「惜しみ」ました。「あわれみをもって見た」のです。「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか」ヨナが、一本のとうごまをあわれんだように、それ以上に、神はニネベの人々と家畜をあわれんで見ておられました。すべて、神様がお造りになり、養い育てて来られた尊い命です。神は彼らが罪のゆえに滅んでしまうことをあわれんで、一人も失いたくないと願われたのです。そして、彼らを救おうとしてヨナを遣わしました。そんな神の思いを分かってほしいと、このとうごまを通してヨナに教えたかったのではないでしょうか。

②二つ目のことは、「ヨナが神に信頼できるように」ということです。とうごまが与えられて、ヨナは一時安らぎを得ましたが、それははかないものでした。彼は、そのはかないものに望みを置いて、心の拠り所としていたようです。神は、とうごまを取り去ることによって、そのことに気づかせようとされました。神が恵みによって与えられたものにではなく、それを与えられた神に望みを置いて信頼するようにと、願われたのではないでしょうか。神様は永遠に変わることのないお方です。その決して動じることのない大きな神様をいつも見ていれば、私たちも動揺することはありません。

こうして、ニネベの人々も、そしてヨナ自身も、神様から深いあわれみを受けました。この神のあわれみは、今も変わることなくすべての人に注がれています。そして神は、私たちを救うために、神のひとり子イエス様をお遣わしになりました。神様は、すべての人がキリストを受け入れて罪から救われることを望んでおられます。この神の招きをあなたは受け入れるかと、神様はすべての人に問いかけておられます。その問いかけにどう答えるか、私たちに委ねられているのです。

尽きることのない神のあわれみが、私たちに向けられています。この神様の大きな愛とあわれみを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。