主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヨナ書4:1-6 「ヨナの怒りと主のあわれみ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、主に祈って言った。」(ヨナ書4:1,2)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、ヨナが神に対して怒って祈ったことと、そんなヨナを神様が深いあわれみをもって取り扱われたことが描かれています。

1)ヨナの怒り
神がニネベへのわざわいを思い直されたことを知って、ヨナは「非常に不愉快に」なります。そして「怒り」ました。ヨナが期待していたこと(願っていたこと)と違う結果となったからです。彼は、悪いニネベは滅ぼされてしまえばいいと考えていました。そして、神はニネベにさばきを下されるに違いない、そのはずだと信じ期待してそのメッセージを伝えたようです。しかし、そうならならなかったことに不満を抱き、神に対して怒りをぶつけたのです。彼は、「怒って、祈り」ました。神への抗議の祈りです。正直に、納得できない思いを神にぶつけました。神様は、そんなヨナの祈りを受け止めてくださり、彼の心に寄り添いながら丁寧に関わって行かれます。
私たちも、神様のなさることが納得できないとか、不公平ではないかと思えることもあるのではないでしょうか。ルカ15章にある放蕩息子の兄の姿や、マタイ20章にあるぶどう園の雇い人の姿が思い起こされます。

2)ヨナの思い
「私は、あなたが情け深く~知っていたからです」(2)ヨナは、まるで神が自分との約束を破って(反故にして)、ニネベを助けたかのように受け止めていたのかもしれません。自分が怒っているのはあなたのせいだと言わんばかりに、神様を責めているようにも思います。ヨナの問題は、自分の思いを手放せなかったことにありました。自分の思いに固執し、神様に対する高ぶりがありました。「主よ、今、どうぞ、私のいのちを取ってください」(3) こう言えば神は思い直すのではないかと、その気もないのに言っているのかもしれません。まるで、子どもがおもちゃ売り場の前でひっくり返って「買って~」と言って駄々をこねているかのようにも思えます。どうもヨナは、自分の思いに囚われて、強情になっていたようです。自分の間違いに気づけないでいました。

3)問いかける神
そんなヨナを、神はどのように取り扱われたでしょうか。2つの点に目を留めてみたいと思います。
まず、神はヨナに語り掛けました。「あなたは当然のことのように怒るのか」(4) 「あなたが怒っていることは本当に正しいことなのか、正当なことなのか」と問いかけています。「お前は間違ってるぞ」と、頭ごなしに断罪するようなことはせずに、ヨナが自分自身で気づけるように働きかけています。自分の思いが強い時は、人の声に耳を傾けるのは難しいものです。でも、神様は、みことばと聖霊の働きかけを通して私たちの心に語り掛けてくださいます。もし、自分の心の中に、何か納得できない思いや怒りの感情があることに気づいたら、まず神様の前にその思いを正直に持っていきたいと思います。そして、自分が今怒っていることは本当に正しいことなのか、神様は何と言っておられるのか、みこころはどこにあるのか、みことばと祈りを通して、神様の語り掛けに聞いていきたいと思います。

4)一本のとうごま
更に、ヨナがニネベの町はずれに仮小屋を建てて、町で何が起こるか見極めようとして座っていた時に、神は「一本のとうごま」を与えます。それは、日中の強い日差しをさえぎって快適な日陰となりました。「ヨナの不機嫌を直そうとされた」(6) 神は、満たされない思いで苦しんでいたヨナに手を差し伸べ、彼の心が少しでも和むようにそれを備えてくださったのです。彼はこのとうごまを気に入ります。神様の粋な取り計らいです。
このように、神は苦情を申し立てたヨナに対して、その祈りを受け止めて丁寧に彼の心を取り扱われました。ヨナは、ニネベの人たちがあわれみを受けた以上に、神様のあわれみを受けたのです。それでも彼はそのことに気づけなかったようです。

私たちも、ヨナのような者ではないでしょうか。私たちも強情で、神様のことばに素直に聞けなくなることもあるかもしれません。自分の思いに固執して、思い通りにならない時に、不平不満を周りの人にぶつけたり、誰かのせいにしたりすることもあるかもしれません。それでも神様は、そんな私たちの弱さを受け止めてくださって、忍耐強く寄り添ってくださいます。私たちにも、私たちの気づかないところで、神様のあわれみの手が差し伸べられているのではないでしょうか。