主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒17:16-34 「知られない神に」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。」(使徒の働き17:27,28)

【礼拝メッセージ要旨】

ベレヤを逃れたパウロは、船でアテネに向かいます。そこで彼は、哲学者たちを相手に大胆に福音を語りました。

1)アテネの町で
ベレヤから兄弟たちによって送り出されたパウロは、船で南へ350キロ離れたアテネの町へやってきます。そこでシラスとテモテがベレヤから到着するのを待つ間、町を巡り歩いて町中に偶像を見つけます。アテネは、古代ギリシアの中心都市であり、建築や芸術、文学や哲学といった文化が花開いた町でした。そこではギリシア神話の神々の像が巧みな彫刻技術で造られて、町のいたるところに置かれていたようです。パウロは、そうした偶像の神々を見て、「心に憤りを覚え」ました。その思いが、彼をアテネでの宣教に駆り立てます。まずユダヤ人の会堂に出向いて福音を語り、さらに、町の広場に出て行って、そこに居合わせた人たちと毎日論じ合います。そこにはエピクロス派(人生における快楽を追求)やストア派(禁欲的、道徳的な生き方を追求)の哲学者たちもいました。そうした人間理性を重視するしっかりとした思想をもつ人々を相手に、パウロはキリスト教の信仰を語ったのです。しかし、彼らはよく理解できなかったようで、パウロはアレオパゴスに連れて行かれます。公の場で、大勢の人たちの前で福音を証しする機会が与えられました。

2)アレオパゴスでの説教
パウロは、アテネの人々の宗教心を尊重しつつ語り掛け、彼が町で「知られていない神に」と刻まれた祭壇を見つけたことに触れて、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」と告げます。彼らは、忘れられている神によって災いが下されることを恐れて、「知られていない神」のためにも祭壇を築いていたようです。そうしてパウロは、自分が信じているまことの神について語り始めます。このところでパウロは、神がどんなお方であって、人間とどんな関係があるのか語っています。そのことを四つの点から見てみたいと思います。

①まず一つ目のことは、「神は唯一の天地の造り主である」ということです。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は」(24) アテネの人々は、人の手で造られた偶像を神として拝んでいました。しかしパウロは、ただ一人の神が最初からおられて、その唯一の神がこの世界とすべてのものをお造りになられた、と語っています。聖書は、「はじめに神が天と地を創造された。」という宣言から始まっています。人が神を造り出したのではないのです。そのように、神様は天地の造り主ですから、人の手によって仕えられる必要は全くありません。何も必要とせずに、自分自身で永遠に存在されるお方なのです。

②二つ目のことは、「人は神によって造られ、神の御手の中で生かされている」ということです。「神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられる」(25) 天地を造られた神様は、私たち人間をも造られました。神は人を「神のかたち」に造り、「いのちの息」を吹き込まれました。人は特別な存在として造られたのです。一人一人に、それぞれ生きる時代と生活の場が与えられています。私たちは、その時、そのところで、神様の御手に守られ生かされています。これも神様の恵みです。そして、この世界を正しく治めるようにと私たちに任せてくださいました。

③三つ目のことは、「神は、人との関わりを求めておられる」ということです。「それは、神を求めさせるためです」(27) アテネの哲学者たちは、神はおられるとしても人には関心を持たないと考えていました。しかし、天地を造られた神様は人に目を留め、働きかけてくださいました。神様の方から人間と関わり(交わり)を持とうとされたのです。聖書を読むと、神が人との人格的な「交わり」を持とうとされたことが分かります。神は、被造物を通して、聖書を通して、そして人として来られた神の御子イエス・キリストによってご自身を人に現わしておられます(啓示)。神は、決して「知られない」ような方ではないのです。そして人を正しい道へ導こうとされました。神様はどうしてそれほどまでに造られた人間のことを心に留められるのでしょうか?神様にとって私たちは、「かけがえのない大切な存在」だからです。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)神様は、私たち人間が神を求めることを願っておられます。

④そして四つ目のことは、「神は悔い改めを求めておられる」ということです。「今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます」(30) 「悔い改める」とは、「神に立ち返ること」です。天地を造られて、私たちを愛しておられる天の神様を認めて、神に従う生き方に向きを変えることです。そうする時に、私たちは神とともに本当に幸いな人生を歩み続けることができるのです。神はイエス・キリストによってこの「救いの道」を示してくださいました。

天地を造られた神様は、私たち一人一人のことを覚えておられて、私たちと交わりを持ちたいと願っておられます。神様は、みことばを通して私たちに語り掛けておられます。私たちのことを心配し、愛してくださるこの大きな神様に、心からの感謝をもって応答していきたいと思います。そして、祈りながら、神様とともに生きる人生を歩み続けてまいりましょう。