主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒17:1-15 「聖書は神のことば」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(テモテへの手紙第二3:16)

【礼拝メッセージ要旨】

今日箇所には、テサロニケとベレヤの町での出来事が描かれています。このところから神のことばである聖書について、そしてみことばに聞く姿勢についてご一緒に考えてみたいと思います。

1)テサロニケの町で
パウロの一行は、ピリピから西へ向かい、やがてマケドニアの州都であったテサロニケの町へやってきます。彼らはさっそくユダヤ人の会堂に入り、パウロはそこで3回の安息日に渡って、「聖書に基づいて」福音を語ります。彼は、①「聖書はキリスト(メシヤ)が苦しみを受け、死者の中からよみがえることを示している」こと、②「イエスは、十字架で苦しみを受けて死んでよみがえられた」という歴史的な事実、そして③「このイエスこそが、聖書に預言されていたキリストである」ことを、力強く論証しました。これを聞いて、ユダヤ人の中の「ある者たち」と神を敬う大勢のギリシア人たちはイエスを信じますが、多くのユダヤ人たちは信じようとはしませんでした。そして、町で暴動を起こして、パウロたちを受け入れていたヤソンらが捕らえられ、役人に引き出されてしまいます。

2)ベレアの町で
こうしてパウロとシラスは難を逃れて、さらに西へ70キロ離れたベレアの町へと向かい、そこでもユダヤ人の会堂に行って福音のメッセージを語ります。その結果、何と、多くのユダヤ人たちが、ギリシア人たちとともにイエスを信じました。テサロニケとは違って、なぜベレアでは、多くのユダヤ人たちがイエスを信じることができたのでしょうか?11節から、彼らが福音を受け入れた要因について3点確認したいと思います。

①一つ目のことは、「素直にみことばを聞いた」ということです。(素直にみことばを受け取ること)「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で」彼らはパウロの語るみことばに「素直に」耳を傾けました。自分の考えや信念に固執しないで、柔軟な広い心で、先入観なしに、みことばを聞く(読む)ことです。この姿勢はとても大事です。例えば、聖書を読みながら、自分の思いや願いを後押ししてくれるようなみことばを捜している、ということはないでしょうか?それは、先入観を持って聖書に自分の思いを読み込んでしまうことになります。心をまっさらにして、「素直な心で」みことばに聞きたいと思います。

②二つ目のことは、「熱心にみことばを聞いた」ということです。(熱心にみことばを求めること)「非常に熱心にみことばを受け入れた」「熱心に」ということは、「強く求める思いをもって」ということです。心を傾けて、真剣に聞くことです。聖書を読む時に、神様は私にどんなことを語ってくださるのだろうかと、期待しながら読んでいきたいと思います。

③三つ目のことは、「自分でみことばを調べた」ということです。(自分でみことばを調べて確信すること)「はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」彼らは、パウロのことばをうのみにはしないで、聖書は何と言っているのか自分自身で確認しました。私たちも、この姿勢にならいたいと思います。聖書を理解する上で、注解書やガイドは役に立ちますが、最初からあてにはしないで、まずは、自分で聖書に取り組んで、素直な心でみことばに聴く姿勢を大切にしたいと思います。

3)聖書は神のことば
今日の箇所では、パウロが聖書に基づいて福音を語ったということと、ベレアのユダヤ人たちが自分たちで聖書を調べて確信したという姿が、特に心に留まりました。そこで最後に、彼らが信仰の拠り所とした「聖書」について、大事なことを確認したいと思います。テモテへの手紙第二3:16から2つのことを確認したいと思います。

①一つは、「聖書は神のことばである」ということです。
「聖書はすべて神の霊感によるもので」聖書66巻は、約1500年に渡って約40人の著者によって書き記されました。それでいて「人類の救い」という一つのテーマに貫かれています。到底人間の知恵によってできることではありません。聖書の著者は、永遠に生きて働いておられる全能の神様と言えます。「神の霊感による」とは、神様が直接の著者となった一人一人の心に働きかけて、その人の個性をも用いながら神のことばを誤りなく書くことができるように守られた、ということです。聖書は、決して人の思想を書き記したものでもなく、人が創作した「神話」でもありません。聖書は、神によって与えられた「神のことば」(神様からのメッセ―ジ)なのです。聖書は、偽りのない、確かで真実な信頼できる神のことばです。このことを信仰によって、しっかりと受け止めたいと思います。そして、この神のみことばの上に私たちの信仰の土台を据えたいと思います。

②もう一つのことは、「聖書は私たちに有益なものである」(人にとって必要なもの)ということです。
「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」神様は、みことばによって私たちを正しいところへと導いてくださいます。人をイエス・キリストによる救いへと導き、私たちの中に、正しくない思いがあれば、そのことに気づかせてくださいます。また、困難の中にある時、みことばを通して、励ましや慰めを与え、私たちに生きる力を与えてくださいます。神様は、私たち一人一人を本当にいつくしんで、みことばを通して私たちの心に語り掛けてくださるのではないでしょうか。本当に、みことばは真実なものであり、信じるに値するものです。聖書は、すべての人にとって必要な、人生を導く指針となり、生きる基準となるものです。

神様は、こんなにも素晴らしい、神のみことばである聖書を私たちに与えてくださいました。このことを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。そして、この偽りのない、確かな神のことばである聖書を、私たちの信仰の拠り所として、みことばに従って人生を歩み続けてまいりたいと思います。