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マルコの福音書16:9-14 「信じる者になりなさい」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネの福音書20:27)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の箇所には、イエスのよみがえりを信じようとしない弟子たちの姿が描かれています。
1)マルコ16:9~20について
マルコ16:9~20には、「9~20節を加える写本は多いが、重要な写本には欠けている」という注釈があり、カッコ書きとされています。この部分は、後の時代に書き加えられた可能性があるということです。聖書学者たちの間で、聖書の本文としてこの部分を加えるべきかどうか議論がなされてきました。真実は神だけが知る、ということになりますが、私は、この部分も神様が許されて書き記されたところとして、尊重して読みたいと思います。
2)信じようとしない弟子たち
9~14節には、「信じなかった」ということばが3回も出て来ます。弟子たちが、イエスが死からよみがえられて生きておられるという話を信じなかったということです。このところを他の福音書も開きながら、もう少し詳しく見ていきたいと思います。
まず、彼らはマグダラのマリアの話を信じようとしませんでした(10~11)。最初にイエスに出会ったマリアは、弟子たちにこのことを知らせましたが、彼らは彼女の話を信じませんでした。「この話はたわごとのように思えたので」(ルカ24:11) 弟子たちは、イエスがよみがえることなどありえないと、最初から決めつけていたようです。彼らは3年間イエスと生活をともにし、イエスのなさる数々の奇跡を見、イエスご自身がよみがえると言われていたことを聞いていました。それでも彼らは、イエスがよみがえられたという話を信じようとしなかったのです。
また、彼らはイエスに出会った二人の弟子たちの話を信じようとしませんでした(12~13)。これは、ルカ24:13~35に出てくる「エマオの村に向かっていた二人の弟子たちにイエスが現れた出来事」のことを指しているようです。その日、二人で話し合いながら道を歩いていると、いつの間にかイエスが一緒に歩いていました。イエスは彼らの話を聞いてから、聖書全体にご自分のことついて書いてあることを彼らに解き明かされました。その話を聞いているうちに彼らの心は内に燃えていたとあります。彼らはすぐにエルサレムに戻り、弟子たちにイエスに出会ったことを知らせましたが、彼らは二人の話も信じることができなかったのです。
そしてついに、イエスご自身が彼らの前に現れます(14)。ルカ24章には、目の前に現れたイエスを見て驚き、震え上がっている弟子たちに、イエスが「どうして心に疑いを抱くのですか」と言って、手と足を見せて、焼いた魚を一切れ召しあがったことが記されています。また、ヨハネ20:19には、「ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた」とあります。彼らは、イエスは死んで終わってしまったと思い込み、希望を失っていました。彼らが信じていたのは、目に見える力強いイエスの姿であったようです。そんな弟子たちにイエスは、「平安があなたがたにあるように」(ヨハネ20:26)と言われました。これを聞いて、見て、弟子たちはようやく信じることが出来ました。ところが、このときそこにいなかったトマスは、弟子たちの話を信じることが出来ませんでした。自分の目で見、自分の手で触ってみない限り、信じることはできないと断言したのです。
このトマスの姿は、私たちの姿をも映しているのかもしれません。私たちも、目に見える現実や自分の思いに心がとらわれて、目に見えないイエス様に信頼することが難しくなることはないでしょうか。それでも、イエス様は生きて働いておられ、私たちを決して見捨てずに、私たちとともにいてくださることを思い出したいと思います。
3)イエスを「信じる」とは?
そんな疑い深いトマスに、8日後イエスが現れて、手と脇腹を彼に示してこう言われました。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27) イエスはトマスに、何を「信じなさい」と言われたのでしょうか。
イエスを信じるとは、イエスが神ご自身であり、人となって来られ、十字架で私たちの罪の贖いを成し遂げ、罪と死に打ち勝ってよみがえられたことを信じることです。しかし、それだけではありません。「イエス」と「私」との関係を認めることが必要です。イエスがトマスに「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われたときに、彼は「私の主、私の神よ」と告白しました。彼は、自分との関係でイエスを、「私の主であり、私の神です」と告白したのです。そのように、「イエス様は、この私の罪のために十字架で死なれて、この弱い私を救うために死からよみがえられた。」と、心から信じることです。そして、個人的にイエス様を自分の救い主として受け入れることです。
そしてもう一つ大事なことは、イエスに自分自身を明け渡すことです。言い換えれば、心の真ん中にイエスをお迎えして、イエスと語り合いながら、イエスと一緒に人生を歩んでいくことではないでしょうか。あのエマオへの道で、二人の弟子たちにイエスが現れて、彼らと一緒に語り合いながら道を進んでいった姿を思い浮かべます。イエス様がどんなときにも、ともにいてくださると信じることが出来ることは、どんなに心強いことでしょう。
神は、すべての人がイエスを信じて、「永遠のいのち」を持つことを願っておられます(ヨハネ3:16,20:31)。「永遠のいのち」とは、イエスを通して神との関係が回復されること、神につながることです。
この神様の大きなご愛と恵みを覚えて、イエス様を信じ、イエス様とともに人生を歩み続けてまいりましょう。