主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記22:15-18, サムエル記Ⅱ7:12-16 「祝福の約束」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22:18)

【礼拝メッセージ要旨】

神は、最初の人アダムが神に背いたときから「救いの約束」を与えておられました(創世記3:15)。その約束はその後、どのように実現されていったでしょうか。

1)アブラハムへの祝福の約束
その後神は「アブラハム」を選び、彼に「救い主」のことを示してくださいました(BC2000頃)。神はアブラハムをカナンの地へと導き入れ、彼が100歳の時、ようやく妻サラとの間に息子イサクが与えられます。ところが神は、彼に大きな試練を与えました。ひとり子イサクを全焼のいけにえとして神にささげよというのです。アブラハムがその命令に従いイサクを屠ろうとしたとき、神は彼の信仰と従順をご覧になり、イサクの代わりに一頭の雄羊を備え、彼に「祝福の約束」を与えました。「あなたとあなたの子孫を大いに祝福し、あなたの子孫によって地のすべての国々を祝福する」という約束です(創世記22:16-18)。「神の祝福」とは、神が私たちに「良いもの」を与えてくださることです。この祝福の約束の中に、将来来られる「救い主」のことも示されています。「あなたの子孫は敵の門を勝ち取る」(17) これは、救い主はアブラハムの子孫として生まれ、敵であるサタンに勝利し、すべての国民に祝福をもたらすということを意味していました。

2)ダビデへの祝福の約束
アブラハムから約1000年後、彼の子孫のユダの家系に「ダビデ」が生まれます。ダビデはイスラエルの王となり、繁栄の時代を築きます。神はこのダビデに対しても「祝福の約束」を与えました。「あなたから出る世継ぎの子が王国を建て、その国は永遠に続く」という約束です(サムエルⅡ7:12-16)。これは、救い主はダビデの子孫として生まれ、彼によって永遠に続く国が建て上げられることを意味しています。

3)祝福の約束の成就
ダビデから300年後、神は預言者「イザヤ」に後に来られる救い主のことをさらに詳しくお示しになられました。イザヤ書の中には、救い主の預言のことばが散りばめられています。救い主は、一人の処女から赤ん坊として生まれることなどが預言されています。また、同時代の預言者「ミカ」には、救い主はベツレヘムに生まれることも示されました。さらに、イエスが生まれる直前になると、ヨセフとマリヤに対して、生まれてくる子が救い主となることがみ使いによって告げられていました。
そうして時が満ちて、2000年前、ダビデの子孫であるヨセフとマリヤの子どもとして、イエスがベツレヘムに誕生します。これがクリスマスです。このようにして、人類を罪から救う神の壮大なご計画が、聖書に昔から約束されていた通りに「祝福の約束」として成就しました。神が、すべての人を祝福するために、神が定めておられたふさわしい時に「救い主」をお送りくださったのです。これは、人の手による作り話ではありません。歴史の事実が証明していることです。神は、この世界にイエスをお送りくださったことによって、人類を罪から救い出すという「祝福の約束」を成し遂げてくださいました。

4)救い主がアブラハム、ダビデの子孫であることの意味
それでは、救い主イエスがアブラハムの子孫、ダビデの子孫として生まれてきた、ということにはどんな意味があるのでしょうか。神は救い主をアブラハムの子孫、ダビデの子孫である「人として」この世界に遣わされました。しかも、そのお方は「神ご自身」でもあるというのです。これは、私たちの理解をはるかに越えていることです。マタイの福音書1:1に「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあり、2節以降には、アブラハムからイエスに至るまでの系図が記されています。この系図には、実に恥ずかしいような事実も記されています。ユダの罪(2)、ダビデの罪(6)、彼らの不信仰の結果としてのバビロン捕囚のことも隠されることなく、赤裸々に記録されているのです。これは「人間の罪の現実」を物語っています。この系図は、ユダヤ人に限らず、すべての人の罪の現実の姿を表わしているのではないでしょうか。私たちの人生の歩みも、この系図にあるように決して誇れるようなものではないと思うのです。そのことを忘れないようにと、神はこの系図を通して私たちに教えておられるように思います。しかし、本当に感謝なことに、神はこの系図の最後に救い主イエス・キリストを置いてくださいました。それはどんなことを意味しているでしょうか。最後に2つのことを確認したいと思います。

一つは、「救い主が、私たち人間の罪のただ中に入ってきてくださった」という事実です。「キリストは、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられた。」(ピリピ2:6,7) 神のひとり子であられるイエスが、私たちを罪から救うために、低くなって、人となって罪の汚れの世界に入って来られたのです。
もう一つのことは、「イエスが罪に勝利して、救いの道を開いてくださった」ということです。人間の罪の現実の先に、キリストによる勝利が用意されているのです。創世記3:15の「救いの約束」(サタンへの勝利の約束)が、イエスによって成就しました。この救いは、日本にいる私たちにももたらされました。すべての人の前に、この「救いの道」が差し出されているのです。

神がなされたことは、まるで「オセロ」のようなものではないかと思います。人が罪を犯す前のエデンでの状態は「白」でしたが、その後すぐに罪が入り、人類の歴史は「真っ黒」にされてきたように思います。しかし、最後の1ピースにイエスという「白い石」が置かれ、それまでのサタンに支配され続けた「黒歴史」が、すべてひっくり返されたようにも思うのです。イエスは、「私たちの罪を覆ってくださった」と聖書は語っています。

神は、ひとり子イエスをこの世界に遣わすことによって、私たちを祝福してくださいました。クリスマスを迎えるこの時、神が私たちのために用意してくださった大きな恵みを覚えて、心から感謝をおささげしましょう。