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創世記3:1-24 「罪の始まりと救いの約束」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15)
【礼拝メッセージ要旨】
アドベント1週目となる今日は、創世記3章から開きました。この箇所には、人類の「罪の始まり」の出来事が描かれています。またここには、最初の「神の救いの約束」も示されています。
1)人は神のかたちに造られた
創世記2章には、神が「人」を造り、エデンの園に置かれた出来事が記されています。神は人を「ご自身のかたち(image)に」創造されました(1:27)。人は神のご性質に似るように造られたということです。それは、神の代わりに人にこの世界を正しく治めさせるためでありました。それほど、神は人を尊い存在として造られて、神の代理として大事な責任をゆだねてくださったのです。
2)神のテスト
人はエデンの園で、神と豊かなすばらしい交わりをもっていました。そんな彼らに、神は一つだけ、してはならないと命じたことがあります。「園の中央にある善悪の知識の木からは、取って食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(2:17) これは、神が彼らに与えた「テスト」でした。神は、人が自分の意思で神に従えるかどうか試されました。「善悪の知識の木」から食べるということは、自分で善悪を判断する生き方を選ぶことを意味していたと思います(自分中心の生き方)。神に従う道を選ぶか、それとも自分で決める道を選ぶか、どちらを選ぶのか?ということです。
3)誘惑と罪の始まり
ある時、ヘビ(サタン)がエバに近づいてきて、彼女を言葉巧みに誘惑しました。「園の木のどれからも食べてはならない、と神は本当に言われたのですか。」(1)と問いかけて、巧みに神のことばをすり替えて、ついには神の命令を逆にしてしまいます。「あなたがたは決して死にません」、「それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって、善悪を知るものとなることを神は知っているのです。」(4,5) これを聞いて、エバの心に神に対するほんの少しの疑いと、神のようになりたいという欲望が湧き上がってきました。エバは誘惑に負けてその実を取って食べ、アダムにも与えてしまいます。このとき人は初めて造り主である神に背きました。このとき、人に「罪」が入り、それ以来、人は罪の性質を受け継ぐようになったと聖書は説明しています(原罪)。「罪」とは、神に背を向けて生きることであり、神ではなく自分の基準で善悪を判断することでもあると言えます。
その結果、二人の目が開かれて、互いに恥ずかしいと思うようになり、神を避けるようになります(8)。また、人間同士においても問題が生じるようになりました。彼らは神から問われたとき、自分の非を認めずに他者への責任転嫁をしたのです。自分がうまくいかないのは、自分以外の誰かのせいだと考えること(自分に原因があるとは考えないこと)、これも罪の本質ではないでしょうか。私たちの中にも、同じものがあるように思います。聖書は、すべての人はこうした罪の性質をもっていると語っています。
4)呼び求める神
「あなたはどこにいるのか」(9) 神に背いた人間に対して、神はこう呼び掛けられました。このことばには、人に対する神の熱い思いが表わされているように思います。神は彼らの思いも、弱さもすべてご存じでした。ご自分が創造し、いとおしい存在であった人が神から離れていくのを悲しみ、とても残念に思われたことでしょう。「あなたは、本当にそれでいいのか?」、「わたしのもとに戻ってきなさい」このことばには、そんな神のあわれみといつくしみが込められているのではないでしょうか。
神は私たちにも、同じように問いかけておられると思います。このことを覚えて、常に神との関係、自分の立ち位置を確認したいと思います。
5)救いの約束
14節以降には、ヘビとエバとアダムに対して、犯した罪に対するさばきの宣告がなされています。アダムとエバには、地上で生きている間、それぞれに苦しみがあるということと、死ぬことが定められるようになったことが告げられました。そして、彼らはエデンの園から追い出されてしまいます。神は、エデンの園の「いのちの木」から人を遠ざけました。これは、人がサタンに誘惑され、神に背く者となったその罪がいかに深刻なものであったかを表わしています。しかし神は、そんな人間をあわれんでくださいました。そして、神との交わりを回復できるように「救いの約束」も与えてくださいました。「敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫との間に置く。」(15) これは、やがて人がサタンの支配から離れ、解放されるということを意味しています。「女の子孫」によってそのことが成し遂げられるというのです。これは、将来人として来られる救い主、キリストのことを指していました。この約束は、イエスが来られたことによって実現しました。神は、この世界に「救い主」を遣わすことによって、私たちを罪から救い出そうとご計画されたのです。時が満ちて、イエス様が人としてこの世界に来てくださいました。そして、私たちのところにも来てくださったのです。
イエス様を自分の救い主として信じて、心にお迎えするならば、誰であっても、神に背いていたその罪が赦されて受け入れていただけます。この世のどんなものにも代えられない、大きな喜びと心の平安をいただくことができるのです。それは、永遠に続く喜びです。
これほどまでに、神は私たち人間のことをあわれみ、愛してくださいました。この大きな恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。