主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒18:18-28 「みこころのままに」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ人への手紙2:13)

【礼拝メッセージ要旨】

パウロは、第2回目の伝道旅行の帰り道にようやくエペソを訪ねます。このエペソの町を舞台に起こった出来事を通して、「神様のみこころ」に目を留めてみたいと思います。

1)エペソを通ってアンティオキアへ
パウロは、コリントに約2年に渡り滞在した後、この旅の帰路にアジア州の首都であったエペソを訪れます。エペソは、パウロがこの旅の当初に目指していた町です。しかし、その道は閉ざされて、結局ヨーロッパ経由で約3年後にようやくここに導かれました。ところがパウロは、人々の要請を振り切るように足早にエペソを立ち去ってしまいます。「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」(21)彼は、「神のみこころ」を第一に求めていました。自分の思いや願いよりも、まず神のみこころに従うことを大事にしたのです。たとえ人間的に考えてチャンスと思えることでも、それを手放して神のみこころに従いました。このパウロの姿勢にならうことができたら、私たちはもっと自由に生きられるのではないでしょうか。私たちも、神のみこころを祈り求めていきたいと思います。
そうしてエペソを出航して、彼らはエルサレム経由で出発地のアンティオキアへと戻って来ます。足掛け4年ほどに及ぶ第2回目の伝道旅行となりました。しばらくして、彼らは第3回目の旅へと出発し、町々の教会を巡りながらアジア州を西へと向かっていきました。

2)アポロのエペソでの活躍
一方、パウロが去った後のエペソに、アポロというアレクサンドリア生まれのユダヤ人がやってきます。彼は聖書に通じていて、福音を聞いてイエスがキリストであると信じてクリスチャンになっていました。彼には、雄弁に語る賜物がありました。しかし、アポロには一つ欠けていたことがありました。「ヨハネのバプテスマ」しか知らなかったのです。罪の悔い改めは理解していましたが、肝心のイエスの十字架と復活の意味をよく理解していなかったようです。福音理解が不正確でした。彼がユダヤ人の会堂で語り始めた時、そこにプリスキラとアキラがいて、彼の「欠け」に気づきます。そしてアポロを自宅に招いて、福音について正確に教えました。彼らはアポロが傷つかないように人前では指摘せずに、愛の配慮をもって個人的に丁寧に説明したのです。こうしてアポロはイエスに対する信仰を確信し、伝道者として整えられていきました。
やがてアポロは、コリントに渡ることを願います。エペソの兄弟たちは、コリント教会にアポロの紹介状を書いて彼を送り出します。彼はコリント教会に受け入れられて、やがて彼の賜物が大いに用いられて、コリント教会を建て上げていくことになります。

3)「神のみこころ」について
このエペソの町で起こった出来事から、「神のみこころ」について見えてくることがあるように思います。ここに登場する人々は、それぞれ自分の意思で判断して行動しましたが、その背後には、神様のみこころが働いていたと言えるのではないでしょうか。そこで、エペソでの出来事を、登場人物を中心に少し振り返って整理してみたいと思います。

①まずは、パウロの行動です。
パウロは、念願かなってこの時エペソを訪ねましたが、短期間でそこを立ち去りました。それがみこころだと判断したからです。この時パウロがエペソを去ることにも、意味がありました。
②次に、プリスキラとアキラの行動です。
彼らはパウロに同行してエペソに来ました。そこでアポロと出会い、アポロは欠けていたところが補強されて、働き人として整えられていきました。彼らは、アポロの成長のために大きく用いられたのです。それは、プリスキラとアキラにとっても、恵みの機会となりました。
③そして、アポロの行動です。
彼は、パウロがエペソを去った後エペソにやってきます。まるで、神様があえて、パウロのいないエペソにアポロを遣わしたかのようにも見えます。そこで、プリスキラとアキラとの出会いによって信仰が確かにされました。また、エペソの兄弟たちによっても励まされ、コリントへ送り出されました。パウロがいないことで、エペソ教会の一人一人が、神様に用いられていったかのようにも思えます。一番良い時に一番良い方法で、アポロは整えられていきました。

このように見てみますと、まるで、神様が大きなパズルのピースを動かしているかのようにも思えます。だからと言って、神様が一人一人を操り人形のように機械的に動かしているということではありません。一人一人はそれぞれ自分の意思で判断し、道を選び、行動していました。それでいて、神様のみこころが進んで行ったように見えます。一人一人が神のみこころを確認しながら従っていたからです。そんな彼らに、神様はみこころをお示しになり、それぞれに志を与えられました。

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ2:13) 神様は、私たちに、「みこころのままに」、思い(志)を与えてくださいます。神様のみこころを真剣に祈り求めていくならば、神様はご自身のみこころを私たちの心に示してくださいます。私たちも、自分の行くべき正しい道を祈り求めていきたいと思います。神様は、私たちに志を与え、みこころのままに、私たちを導かれます。その道を歩んで行く時に、神様は私たちを大いに用いてくださり、恵みと大きな喜びを与えてくださるのではないでしょうか。このことを覚えて、主のみこころに、お従いしてまいりましょう。