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マルコの福音書15:38-47 「隔ての幕が取り去られ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「イエスはご自身の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」(ヘブル人への手紙10:20)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、イエスが十字架で死なれてから墓に葬られるまでの出来事が描かれています。イエスの十字架の死によって、何がもたらされたのでしょうか。

1)神殿の幕が裂けた
イエスが十字架で息を引き取られたとき、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とあります(38)。この「幕」とは、この神殿の聖所と至聖所を仕切る垂れ幕のことを指しています。奥の「至聖所」は神聖な場所として、「大祭司」が年に一回だけ、いけにえの血を携えて入ることが許されていました。それまで、聖所と至聖所を仕切る幕があったことは、人間は罪があるために、聖い神に直接近づくことができないということを意味していました。これは、人の罪が神と人とを隔てていたことを象徴的に表しています。この「仕切りの幕」が「真っ二つに裂け」ました。これは、神と人とを隔てていたものが「取り除かれた」ことを示しています。神の御子であるイエスが、十字架で私たち人間の罪の償いをしてくださったことによって、だれでも、いつでも、神に近づくことが出来るようにされたのです。

「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」(ヘブル10:20) かつて大祭司が、年に一回、動物の血によって神の前に出ることが許されたように、イエスが十字架で流された血によって、それを信じる者たちは、大胆に神の前に出ることが出来るようにされました。まさに、イエスのからだが裂かれたことによって、神に通じる「新しい道」が開かれたというのです。この出来事は、イエスの死によって、アダムの時以来壊れていた神と人との関係が回復されて、「救いに至る道」が開かれたことを表しています。

2)百人隊長の告白
イエスが十字架で死なれた時、その姿を見ていた人たちの心にも変化が起こりました。ここに、そうした人々の姿が描かれています。
まず、「ローマの百人隊長」です(39)。彼は、ピラトの命令を受けてイエスの処刑を執行した監督責任者でした。彼は職務上、イエスが十字架の上で苦しむ姿を見、言われた言葉も聞いていたと思います。そうしたイエスの姿を近くで見ていて、彼は「この方は本当に神の子であった」(39)と告白しました。彼は異邦人であり、イスラエルの神を知らなかったにもかかわらず、イエスを「神の子」と認めたのです。彼は、十字架の上のイエスの姿を見て、それまで見て来た犯罪人たちとは明らかに違うと感じたはずです。イエスが黙って苦しみを耐え忍び、自分を十字架につけた人々の赦しを求めて祈る姿や、「御手にゆだねます」と言って神に信頼して一切を受け入れた姿は、彼の目にとても新鮮に映ったことと思います。そうして彼の心は動かされ、「この方は本当に神の子であった」と告白せずにはいられなかったのではないでしょうか。イエスに対する信仰も芽生えていたのかもしれません。

3)ガリラヤからついてきた女性たち
次に、「ガリラヤからイエスについてきた女性たち」です(40,41)。彼女たちは、イエスのことを心配しながら処刑の様子を遠くから見ていました。イエスのそばから離れようとはしませんでした。このうち二人のマリアは、イエスが墓に納められるところまで見届けていました(47)。安息日が終わってからここを訪ねて、イエスのからだに香油を塗って、埋葬の処置をするためにです。彼女たちはイエスのために自分たちにできることをしたのです。

4)アリマタヤのヨセフ
そしてもう一人、イエスのために行動した人がいました。「アリマタヤのヨセフ」です(43)。彼は、サンヘドリンと呼ばれるユダヤ人の議会の有力なメンバーでしたが、イスラエルにメシアが来られることを待ち望んでいて、秘かにイエスの弟子となっていました。しかし、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していました。そのヨセフが、イエスが十字架につけられ、苦しみながら息を引き取る様子を見届けた時に、何とピラトにイエスのからだの下げ渡しを願い出たのです。それは、彼がイエスの弟子であったことを公表するような行為でした。彼の心が変えられて、「人に何と思われてもいい、イエスのために自分にできることをしよう」と心に決めたのではないでしょうか。そして彼は、それを行動に移しました。彼はイエスのからだを引き取ると、新しい亜麻布で包んで、彼が所有していた墓にイエスのからだを納めました。
このヨセフの姿に、私たちも励まされるように思います。彼は、イエスのために自分にできることをしようと決心し、立ち上がりました。イエスのからだを引き取ることが出来たのも、イエスのために彼の所有していた新しい墓を用意することが出来たのも、ヨセフであったからこそできたことです。ヨセフは、自分に与えられている賜物を用いてイエスのためにできることを精一杯やったと言えるのではないでしょうか。父なる神様は、イエスによる救いのご計画の実現のために、このヨセフを大きく用いられました。
また、パリサイ人であり、同じくユダヤ人の議員であった「ニコデモ」も、ヨセフと一緒にイエスのからだを墓に納めました(ヨハネ19:40)。彼は以前、夜に秘かにイエスを訪ねて教えを聞いていました(ヨハネ3章)。彼も、イエスの十字架の死を目撃し、心を動かされ、行動に駆り立てられたのです。

私たちも、あの百人隊長のように、イエスへの信仰を告白したいと思います。また、あのガリラヤの女性たちのように、どこまでもイエスについて行きたいと思います。そして、アリマタヤのヨセフやニコデモのように、自分に与えられている賜物を用いてイエスにお仕えしていきたいと思います。

イエス様は、十字架の贖いを成し遂げられたことによって、私たちに「救いの道」、「永遠のいのちに至る道」を開いてくださいました。この大きなご愛と恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。