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エペソ人への手紙3:1-13 「福音に仕える者として」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。」(エペソ人への手紙3:12)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の箇所でパウロは、今自分が置かれている状況を神から受けた「恵みの務め」として語っています。今日はこの「パウロのあかし」に学びたいと思います。
1)キリストの囚人として
「あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。」(1) 「キリスト・イエスの囚人」とは、キリストを宣べ伝えたために「人に捕らえられ「囚人」とされた」ということと、「キリスト・イエスによって捕えられている」という2つの意味を表しているように思います。かつて神への熱心さのゆえにキリストを迫害していたパウロが、キリストに出会い、深い取り扱いを受けて、「キリストに仕える者」へと変えられました。そうして彼は「神の恵みの務め」(2)を受けました。それは、異邦人に「イエスによる救いの知らせ」である「福音」を届けるという働きのことを意味しています。その「務め」が、人々に救いをもたらす、神からゆだねられた「恵みの務め」なのだと分かったために、どんなに困難が多くても、喜んで、命をかけて福音宣教に取り組んだのです。
2)キリストの奥義
3~7節では、神がパウロに示されたことがどのようなものであったのかを具体的に語っています。「奥義」(3)とは、それまで人には知らされてこなかった神のご計画のことを意味しています。その奥義が神によってパウロに明らかに示されたというのです。それは、「福音」により、異邦人もイスラエル人と「共同の相続人」となり、同じ一つのからだとされて、ともに神の約束にあずかる者となると説明しています(6)。この奥義が神の恵みとして示されて、彼は「福音に仕える者」(7)となりました。
3)キリストの測り知れない富
続いて8~11節では、パウロにこの「恵みの務め」が与えられた目的について語っています。このところに、神が彼にこの使命を与えた目的として3つのことが示されています。1つは、「福音を異邦人に宣べ伝えるため」です(8)。ここでパウロは、自分のことを「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に」と言っています。かつてキリストを迫害していたような者にイエスが目を留め、彼を救い、重要な使命を与えられたことへの感謝の思いが表れています。また、「福音」のことを「キリストの測り知れない富」と言っています。キリストのうちには、想像もつかないほど大きな無限の豊かさがあります。その「測り知れない富」を異邦人に知らせるために、パウロはこの使命を受けたのです。
2つ目の目的は、「救いの恵みを世に示すため」です(9)。パウロの働きによって異邦人も救われることが世の人々に明らかにされるためと語っています。そのことを「奥義の実現」と表現しています。確かに、パウロの働きによって、小アジアからヨーロッパへと福音は広められていきました。
そして3つ目の目的は、「神の知恵を御使いたちにも示すため」です(10)。「天上にある支配と権威」とは、「御使いたち」のことを指しているようです。地上でなされる救いのみわざが天にも知らされるというのです。
このパウロの働きを通して、福音はやがて日本にも伝えられて、私たちのところにも届けられました。誰であっても、キリストを心に受け入れて、キリストに信頼すること(信仰)によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのです(12)。「私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。」(13) 「あなたがたの栄光」とは、あなたがたはそれほど価値ある存在なのだと言っているように思います。自分のいのちをかけても惜しくないと思えるほど、あなたがたは尊い存在だということです。
4)キリストにこそ価値がある
このパウロのあかしから、私たちも教えられることとして、2つのことに目を留めたいと思います。まず一つ目のことは、「キリストにこそ価値がある」ということです。かつてユダヤ人のエリートとしてすべてを持っていたパウロは、キリストに出会って、それまで大事だと思っていたものをすべて捨て去りました。そして、キリストに仕える者となりました。それは、キリストにこそ本当の価値があると分かったからです。まさに、キリストには「測り知れない富」があることに気付いたのです。私たちにも、「お金」や「健康」や「家族」といった自分にとって「宝物」と思えるものがあると思います。そうしたものは確かに大事なものです。しかし、いつまでも続くものではありません。「地上の宝」は、いつか朽ち果ててしまいます。キリストにこそ、決して変わることのない、私たちの人生をかける価値があります。イエス様こそ、すべての人を幸せにする本当の「宝物」なのです。
5)私たちも「福音に仕える者」とされている
二つ目のことは、「私たちも「福音に仕える者」とされている」ということです。私たちもイエス様に出会い、「キリストの測り知れない富」を受け取りました。その豊かな恵みを受けた者として、私たちも「福音に仕える者」とされているのではないでしょうか。牧師や宣教師だけが「福音に仕える者」ではないのです。神は、福音の前進のために私たちをも用いられます。
では、私たちはどのように「福音に仕える」ことができるのでしょう。一番大事なことは、イエスの教えを普段の生活の中で実践すること、「福音に生きる」ことであると思います。毎週日曜日に教会に来て礼拝をささげること以上に、普段の日常をどのように生きるかが問われているように思います。例えば、家庭や職場や地域社会において、イエスの愛を受けている者として人々と関わり、イエスの愛を表わしていけたらいいのではないでしょうか。そして、その人間関係を通して、ふさわしいときに、自分の言葉で、すべての人にとっての宝物である「福音」を紹介したいと思うのです。
この福音は私たちにも託されています。この素晴らしい恵みを覚えて、私たちも「福音に仕える者」となりたいと思います。