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エペソ人への手紙2:11-18 「二つのものを一つに」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、」(エペソ人への手紙2:14)
【礼拝メッセージ要旨】
今日の箇所では、「キリストにある平和」ということを教えています。キリストによって私たちに本当の「平和」がもたらされたというのです。それはどういうことなのでしょうか。
1)異邦人として
「あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。」(11) 「異邦人」という呼び方には、神との契約の外にある人たちという意味合いが含まれています。イスラエル人は、自分たちこそ神に選ばれた民であると優越感をもち、異邦人を見下していたようです。しかし、神のご計画はアブラハムの子孫であるイスラエル人を通して、すべての民族を祝福するということでした。ここでパウロは、異邦人であるエペソの教会の人たちに、「あなたがたはかつて異邦人として、神を知らずに、神から遠く離れていた者でした。そのことを思い起こしなさい。」と言っています。私たちも、かつて神を知らない、神との契約の外にあった「異邦人」であったと言えます。
2)キリストの血によって神に近い者とされた
「今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。」(13)本来、神の祝福にあずかれない者とされていた異邦人も、イエスが十字架で流された血のゆえに、罪赦され、神との関係に入れられるようにされました。すべての民族を祝福するという神の約束は、イエスによって成し遂げられたのです。「実に、キリストこそ私たちの平和です。」(14) 私たちがキリストの血によって救われ、神に近い者とされたことを「平和」という言葉で表現しています。
3)隔ての壁
「私たち二つのもの」(14)とあるのは、「イスラエル人と異邦人」のことを指しています。「隔ての壁」(14)とは、かつてエルサレムの神殿の庭に、イスラエル人と異邦人を分けるために置かれていた仕切りの壁のことを意味します。イスラエル人は、異邦人を「汚れた民」とみなし、軽蔑し、交わらないようにしていました。そのように、イスラエル人と異邦人との間には「隔ての壁」があって、お互いに敵対し合っていたのです。
この「隔ての壁」は、私たち人間の現実を表しているように思います。今も国と国との間に、民族と民族との間に「隔ての壁」があります。家庭や教会の中でも「隔ての壁」があって、「仲良くできない」という現実もあります。「隔ての壁」は、私たちの中にもあるものです。人はどうして「壁」を作るのでしょう。それは、「自分の基準」で人を裁いてしまうからだと思います。「自分の物差し」を人に当てはめて、それに合わない人は差別し、非難し、攻撃するということもあるのではないでしょうか。お互いに話し合って、折り合いをつけて歩み寄ることが出来ずに、壁を作って避けようとしたり、排除しようとしたりするのです。これは、私たちの中にある「罪の性質」(自己中心性)から来るものです。
4)二つのものを一つに
では、この「隔ての壁」の問題は、どうすればいいのでしょうか。聖書は、その解決の道をハッキリと示しています。「キリストは、~隔ての壁である敵意を打ち壊し」(14)イエスは、十字架で流された血潮によって、神と人を隔てていた壁を取り去り、人と人とを隔てていた壁も打ち壊されたのです。「こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」(15,16) イエスの十字架の死によって、神と人との間に、そして人と人の間に平和がもたらされたのです。「平和」と訳されている言葉は、ヘブル語の「シャローム」に由来します。「シャローム」には、「神の与える平安」という意味があります。「平和」は神から与えられるものであることを示しています。
イエスの十字架による救いは、「福音」(良い知らせ)として神から遠く離れていた異邦人にも、近くにいたイスラエル人にも届けられました(17)。そうして、イスラエル人も異邦人も関係なく、神に受け入れられ、神の民とされて、一つのキリストのからだ(教会)とされていきました。イエスの十字架によって、敵対していた「二つのものが一つにされた」のです。
5)平和を実現するために
平和を実現するために、私たちにもできることがあると思います。最後に、私たちが平和を作るために心掛けたいこととして、3つのことを確認したいと思います。
一つ目は、「キリストの十字架を仰ぎ見ること」です。人を赦せない思いに駆られた時、イエスの十字架を思い起こしましょう。イエス様はこんな私たちのために十字架で苦しまれ、いのちをささげてくださったのです。この大きな恵みを思い起こして、祈りたいと思います。
二つ目のことは、「隔ての壁を取り去る努力をすること」です。自分の中に「隔ての壁」の原因となっている小さなプライドやこだわりがあるとしたら、思い切って捨て去る決意をしたいと思います。自分の中には十字架以外に誇れるようなものは何もないということを思い出して、謙虚になりたいと思います。
そして、三つ目のことは、「相手の立場に立って考えること」です。自分とは考えや立場が違う人を一方的にさばくのではなく、どうしてそう考えるのか、相手の立場に立って考えることを大切にしたいと思います。その人の思いを理解しようと努力して、相手を尊重することです。たとえ同意できなくても、考え方に違いがあることを受け止めて、リスペクトしながら、大人としての付き合いをしていきたいと思います。
イエス様は、十字架で流された血潮によって、神と人との間の、そして人と人の間の「隔ての壁」を打ち壊して、本当の「平和」をもたらしてくださいました。私たちもイエス様を信じて、神との平和をいただいたことを覚えて感謝をおささげしましょう。そして、十字架の恵みを思い起こしして、平和を求め、平和を作る者となりたいと思います。