主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

エペソ人への手紙2:8-10 「良い行いに歩むように」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ人への手紙2:10)

【礼拝メッセージ要旨】

「救い」は神からの一方的な恵みによることであり、私たちの「行い」は救われるための条件ではありません。では、「信仰と行い」はどんな関係にあるのでしょうか。

1)私たちは神の作品
今日の箇所では、私たちがキリストにあって救われたあとの歩みについて教えています。「救われた者として」歩むべき道がある、ということです。「実に、私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(10) 今日はこのところから、大きく2つのことに目を留めたいと思います。
1つ目のことは、「私たちは神の作品である」ということです。「神の作品」というと、創世記に記されている「世界の創造の出来事」が思い起こされますが、ここでパウロはむしろ、人間が罪から救われることを言っているようです。罪の中に死んでいた人間が、キリストにあって生きる者とされること、つまり「救われること」を「神の作品」と言い表しています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリントⅡ5:17)イエスを信じて、私たちは内側から全く新しく造り変えられたのです。
「神の作品」ということばに表わされている意味として、3点挙げたいと思います。まず1点目のことは、「私たちには価値がある」ということです。神ご自身が私たちを造り、神から離れた私たちを罪から救い、造り変えてくださいました。例えば「ダビンチの作品」というだけで、その絵には大きな価値が認められますが、私たちは何と「神の作品」なのです。私たちを造ってくださったお方は全知全能の神様です。そうだとしたら、私たちには計り知れないほどの価値がある、ということではないでしょうか。神様が、私たち一人ひとりをかけがえのない、価値ある存在として造られました。私たちは、神が造られた神の「最高傑作」なのです。
次に2点目のことは、「神の愛が込められている」ということです。神は「大きな愛のゆえに」(4)私たちを造り、神から離れた私たちを罪から救ってくださいました。神は私たちを救うために、「ひとり子のいのち」という大きな犠牲を払ってくださったのです。
そして3点目のことは、「私たちに期待されていることがある」ということです。「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」(10) このところから、神が私たちに期待しておられることがあると分かります。それは、私たちが「良い行いに歩む」ことです。

2)良い行いに歩むように
では、「良い行ないに歩む」とは、具体的にどういうことを言っているのでしょうか。次に、今日目を留めたい2つ目のこととして、このことを考えてみたいと思います。「良い行い」とは、罪から救われた者だからこそできる良い行いのことを意味しています。具体的に3点挙げたいと思います。
第一に、「神を愛すること」です。私たちは、造り主である神を知り、イエスの十字架による救いにあずかって、神を愛する者とされました。神とともにいることが何よりも大きな喜びであり、安心となりました。そうすると、私たちは自然と、神中心の生活をすることを願うようになります。聖書を開いてみことばに聞いて、祈りながら常に神様に思いを向けることです。イエスに信頼しながら、イエスとともに人生を歩むことです。そうした「神を愛する生き方」を求めてまいりたいと思います。
第二に、「隣人を自分自身のように愛すること」です。神から受けている愛を、自分の隣人に表わしていくことです。人間関係の中で、愛を実践していくことです。人を愛せなくなるとき、「隣人を愛する」ということが本当の意味で試されるのではないでしょうか。私たちは神の愛を知っています。神は、神に背いていた私たちを愛してくださいました。「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。」(ヨハネⅠ4:11) このことを覚えて、私たちが受けた愛を、家族や周りの人々に、惜しみなく表していきたいと思います。
そして第三に、「自分自身の成長を願いつつ生きること」です。「行い」は外側に現れる行為ですが、そのために「自分の内面」が変えられる必要があります。イエスを信じるときに、聖霊の働きによって新しく造り変えられますが、残念ながら私たちの中にはまだ罪の性質(自己中心の性質)が残されています。それでも、私たちのうちには聖霊が住んでくださり、弱い私たちを助けてくださいます。また、イエスという模範が示されています。イエス様のお姿を思い浮かべながら、祈りつつ、聖霊の助けをいただいて、地上の旅路を歩んでまいりましょう。そして、イエス様のお姿に少しでも似る者へと変えられていくこと(成長すること)を求めてまいりたいと思います。

3)備えられている良い行い
「信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。」(ヤコブ2:17) ヤコブは、本当の信仰には行いが伴うと語っています。人は行いによっては救われませんが、本物の信仰は良い行ないとなって現われるのです。これは、自分の力でがんばって良い行ないをしなければならない、ということではありません。「神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行ないをあらかじめ備えてくださいました。」(10)私たちを救ってくださった神様が、良い行ないをすることができるように力を与え、助けてくださるのです。

私たちに期待されている「良い行ない」とは何でしょうか。このことを祈りながら考えていきたいと思います。そして、私たちを通して神様の栄光が現わされることを求めてまいりましょう。