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エペソ人への手紙2:7-9 「恵みと信仰による救い」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(エペソ人への手紙2:8)
【礼拝メッセージ要旨】
パウロは、「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。」(8)と語っています。これはどういうことを言っているのでしょうか。
1)恵みのゆえに救われる
まず「恵みのゆえに救われる」ということについて考えたいと思います。「この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世に示すためでした。」(7) ここに、神が私たちを救ってくださる目的が記されています。私たちが救いにあずかること自体が神様のすばらしさを証しすることになる、ということです。私たちはイエス様に出会い、喜びに満たされて、人生が大きく変えられました。この私たちを通して、神の豊かな恵みがさらに周りの人々に伝わり、広がっていくのです。
では、「恵み」とは何でしょう。恵みと似ている言葉に「報酬」があります。「報酬」とは、働いてもらえる賃金や見返りとして受け取るもの(働きに対する対価)です。恵みは報酬とは違います。恵みは、自分の働きによらずに受けられるものです。何の働きもしない者、受けるに値しない者、その資格の無い者も受け取れる、神様からの無償のプレゼント、それが恵みなのです。
2)行いによらず
「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(9)私たちが罪から救われることも、神の恵みによることです。「救い」は、私たちの善い行いや働きに対する「報酬」として受けるものではありません。なぜならば、私たちの中には、神に背いていた罪を帳消しにするだけの力も能力もないからです。罪から救われる(神につながる)ということは、人間の力ではどうすることもできないことでした。この手紙を書いたパウロは、かつてパリサイ人として、律法を忠実に守り行うことによる救いを信じていました。そんな彼に、ある時イエスが現れ、深い取り扱いを受けて救われたのです。彼は神の恵みによる救いを経験しました。私たちが救われたのも、ただ神からの一方的な恵みによりなされたことなのです。
3)信仰によって救われる
次に、私たちが罪から救われるために必要な、もう一つ大事なこととして、「信仰によって救われる」というについて考えたいと思います。神の恵みは、すべての人に等しく注がれています。イエスは、すべての人の罪を負い、罪の赦しを得させるために、ご自分のいのちをささげてくださいました。しかし神は、すべての人を自動的に救ってくださるわけではありません。神は人に「自由意志」を与えられました。人は自由意志によって神に従うことも、神に背き続けることもできるのです。人が罪から救われるためには「信仰」が必要です。「恵み」が神の側からの働きかけとすると、「信仰」は神の恵みに対する人間の側の応答と言えます。「信仰」とは、神が備えてくださった救いの恵みに自由意志をもって応答し、その恵みを自分のものとして受け取ることです。イエスに信頼を置いて、自分自身をゆだねることです。
「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼ととともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)このみことばにあるように、イエスは「わたしが用意した救いの恵みを受け取りなさい」と、すべての人を救いへと招いておられます。イエスの声を聞いて「戸を開ける」とは、神の恵みに応答して心を開くことです。神の恵みに応答するとは、まさにこの扉を「内側から開く」ということではないでしょうか。「イエス様、どうぞお入りください」と言って、イエスを自分の心にお迎えすることです。それは、罪を悔い改めてイエスを自分の救い主として受け入れることです。そして、イエスに信頼を置いて人生を歩み出すことを決意することです。イエスはその人とともに食事をすると言っておられます。それは、離れていた神との関係が回復されて、神との交わりに入られることを意味しています。このイエス様の招きの声に応えて、心の扉を開いて、イエス様を私たちの心にお迎えしたいと思います。
4)信仰も神の賜物
確かに、私たちは信仰によって救われます。しかし、一つ気を付けなければならないことがあります。それは、「信仰」も神から出ていることであって、自分の功績のようなものではないということです。「信仰」を、何か自分の努力によって得たものであるかのように考えてはいけません。もしそのように考えるとしたら、「信仰」も「行い」のようになってしまうのではないでしょうか。私たちがイエス様を信じることができたのも、先に神様からの働きかけがあったからです。聖霊の促しによって、私たちの心が開かれたからです。そのことを「あなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(8)と言っています。私たちは、自分の罪の中に死んで、罪の奴隷となっていたものでした。そんな私たちを神はあわれみ、深い愛をもって罪から救ってくださいました。「信仰」も、神のあわれみと愛によって与えられる「賜物」であるということを忘れないようにしたいと思います。
キリストによる救いの恵みは、すべての人に等しく注がれています。神は、すべての人がこの恵みに応答し、イエスを信じて、神との交わりを回復できることを望んでおられます。神様が私たちのためになしてくださった、この救いのみわざをしっかりと心に留めて、イエス様を私たちの心の真ん中にお迎えしたいと思います。そして、イエス様に信頼を置いて、イエス様とともに歩んでまいりましょう。