主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

エペソ人への手紙2:1-6 「大きな愛のゆえに」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。」(エペソ人への手紙2:4,5)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所でパウロは、私たちがキリストに出会う前はどのような状態にあったのか説明しています。神はそんな私たちをあわれみ、大きな愛を示してくださいました。

1)私たちは罪の中に死んでいた
「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であった」(1)パウロは、私たちがイエスに出会う前(生まれながらの状態)は、「罪の中に死んでいた」と語っています。「死」とは「分離」を意味しています。普通「死」と言われることは、私たちの魂が体から離れることです。これは「肉体的な死」です。一方聖書は、「霊的な死」についても語っています。それは、人が造り主である神との関係から離れることを意味しています。アダムとエバは、神の命令に背いて神との交わりから離れるようになりました。これが「霊的な死」です。それと同時に、罪の結果として「肉体の死」も入ってきました。「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた」というのは、「霊的な死」のことを指しています。人は皆、その罪のゆえに造り主である神から遠く離れている、ということです。私たち人間は、アダム以来、罪の性質を受け継いで生まれてくると聖書は説明しています。「罪」とは、神に背く性質、的外れの生き方のことです。すべての人は、生まれながらにして神から離れた状態にあるというのです。

では、私たちが「罪の中に死んでいた」とは、具体的にどういうことなのでしょう。2節と3節のところで、3つの点から説明しています。
①第一に、「私たちはこの世の流れに従っていた」ということです。「かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い」(2)世の中の流行や社会の価値観は、時代や人々によって変わるものです。私たちは相対的な価値観の中で、何が絶対的に正しいことなのか分からずに、世の流れに流されて生きてきたと言えます。
②第二に、「私たちはサタンに従っていた」ということです。「空中の権威を持つ支配者」(2)とは、サタン(悪魔)のことを指しています。堕落した天使であるサタンは、人々の心が神に向かないように誘惑し、働きかけてきます。サタンの誘惑はとても巧妙で魅力的です。私たちはキリストに出会う前は、このサタンに従って歩んでいたというのです。
③そして第三に、「私たちは自分の肉の欲の中に生きていた」ということです。「この世の流れ」と「サタン」が私たちの外側から誘惑するものとすれば、「肉の欲」は自分の内側から誘惑するものと言えます。「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。」(ヤコブ1:14) 私たちは皆、肉の欲のままに生きていたのです。

こうした状態が、「生まれながらの人間の姿」(私たちの罪の現実、キリストに出会う前の状態)です。人は皆、生まれながらにして造り主である神様から離れ、罪の奴隷となっているというのです。そうした状態を、「生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」とパウロは語っています。私たちは皆、罪のゆえに神のさばきを受ける運命にありました。

2)神は私たちをキリストとともに生かしてくださった
しかし神は、そんな悲惨な状態にあった私たち人間を放ってはおかれませんでした。「しかし、あわれみ豊かな神は、」(4) 何と神は、罪の中に死んでいた私たちを「キリストとともに生かす」ということをしてくださいました(5)。「生かす」とは、「神とつながる」ことを意味しています。イエス様が、私たちの罪を償うために十字架で死んでくださったことを心から信じて受け入れるならば、その人は神に背いていた罪を赦されて、神との交わりに入れられます。神とつながって、それまで切れていた(壊れていた)神との関係が回復されるのです。これが、神がなされた「救いのみわざ」です。
さらに、神はキリストを信じる者たちを、キリストとともに「よみがえらせ」、さらに、ともに「天上に座らせて」くださったというのです(6)。イエスが死からよみがえられたように、イエスを信じる私たちも同じように新しいからだによみがえり、さらに天上に引き上げられて、イエスとともにこの世界を治めるものとされるという約束です。それはまだ実現していませんが、キリストの十字架においてすでに完了していることを示しています。

3)大きな愛のゆえに
では、神はなぜそこまでして私たちを罪から救ってくださるのでしょうか。神に背いて、神から遠く離れて自分勝手に生きてきた私たちを罪の奴隷から救い出すために、大切な神のひとり子イエスを地上に遣わし、十字架にまで渡されたのです。その父なる神様の動機は一体何なのでしょう。「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに」(4) その動機は、「神のあわれみと愛」にあります。「あわれみ」とは、「ご自分の痛みとして覚える」ということです。神は私たちの苦しみをご覧になって、ご自分の苦しみとされました。そして、「大きな愛」を示されました。私たちが神から永遠に離されてしまうことをよしとはされませんでした。そのために、父なる神はひとり子イエスを遣わしてくださったのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)ここに、私たちに対する神の大きな愛が表されています。

この神の愛はすべての人に注がれています。この恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしましょう。そして、イエス様を私たちの救い主として信じ、信頼し、神様とのいのちの交わりの中に生きる者となりたいと思います。