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出エジプト記2:1-10 「あなたを忘れない」 齋藤牧師
【今週のみことば】
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。」(イザヤ書49:15)
【礼拝メッセージ要旨】
今日は母の日に関連して、出エジプト記2章からモーセの二人の母親の姿に目を留めたいと思います。
1)モーセの生みの母と育ての母
今日の箇所には、モーセの「生みの母親」と「育ての母親」の二人の母親が出て来ます。「モーセ」は、後にイスラエル人をエジプトから救い出すリーダーとなった人物です。当時イスラエル人はエジプトに暮らしていました。約400年前、ヤコブの家族はエジプトの大臣となったヨセフに招かれて豊かなエジプトの地へと移り住んだのです。しかし、やがて彼らが増え広がるのを見て、エジプト人は彼らを恐れ、エジプトの王はイスラエル人を奴隷のように扱い、苦しめるようになります。それでもイスラエルの民は増えたために、ついに王はヘブル人に男の子が生まれたらナイル川に投げ込んで殺さなければならないという、恐ろしい命令を出します。ちょうどそのときにモーセが生まれたのです。モーセの母親は王の命令には従わずに3か月間モーセを隠しますが、ついに隠し切れなくなってその子をパピルスの籠に入れてナイル川の岸辺に置きました。そこへファラオの娘が水浴びに来て、籠の中に男の子を見つけかわいそうに思い、自分の子どもとして育てることを決意したようです。その時、心配して見守っていたその子の姉が「ヘブル人の乳母を呼んでまいりましょうか」と声をかけて、実の母親を呼んで来ます。そして何と、王女様から依頼されて、実の母親のもとでしばらく育てられることになりました。何という巡り合わせでしょうか。
このファラオの娘も、自分の身の危険を冒してまでこの子の命を守りました。父親である王の命令に背いて、ヘブル人の男の子を助けたのです。彼女は、連れて来られた乳母がその子の母親だと分かっていたのかもしれません。やがて約束通りこの子は王女に引き取られて、彼女の息子として王宮で育てられることになります。本来なら殺されていたはずのヘブル人の子が、エジプトの王子となったのです。その背後には、神の守りと導きがありました。
神は、実の母親と育ての母となったエジプトの王女、それにモーセの姉の3人の女性たちを用いてモーセの命を守られました。このところから、神様はご自身のみこころを行うために人を用いられる、ということが分かると思います。神様は、私たちのことをも何か大切なご用のために用いてくださるのではないでしょうか。
2)母の愛
こうしてモーセは、二人の母親の愛情を一杯に受けてすくすくと成長しました。実の母親からは、神への信仰とヘブル人としてのアイデンティティを教えられたと思います。また、王女の息子として、エジプトの王宮で最先端の教育やリーダーとなるための訓練を受けることが出来たでしょう。そうした経験はすべて、将来の大きな働きのために役立つことになったのです。母親の子を思う気持ち、母の愛は本当に偉大です。母親は、自分を犠牲にしてまで子に尽くします。愛情と忍耐がなければ子育てはできません。私たちも、このように母親の献身的な愛情を一杯に受けて育てられたということを忘れないようにしたいと思います。そして、感謝を表したいと思います。
3)あなたを忘れない
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ49:15)神は、預言者イザヤを通してイスラエルの民に語り掛けました。たとえ母親が我が子を忘れるようなことがあったとしても、このわたしは絶対にあなたを忘れることはないと約束しておられます。母親が我が子をいつくしむように、それ以上に、神は私たちのことを愛しておられるのです。その神の愛は、イエス・キリストの十字架に表されています。天の父なる神様は、私たちのために、その愛するひとり子イエス様を与えてくださいました。神のひとり子イエス様は、私たちの罪を代わりに償うために十字架に向かわれました。神は、私たちのためにそれほど大きな犠牲を払ってくださったのです。私たちは、それほど神に愛されています。
4)水の中から引き出された者
ファラオの娘はその子を「モーセ」と名付けました(10)。「モーセ」には、「引き出す」とか「引き上げる」という意味があります。「この子は、私が水の中から引き出して生きる者となった。」という意味が表わされているようです。この名前は、その後のモーセの働きをも表すことになります。モーセが80歳のとき、彼はエジプトに戻って来て、苦しんでいたイスラエルの民をエジプトから救い出しました。あの「紅海を渡る奇跡」が思い起こされます。まさに、イスラエルの民を水の中から救い出したと言えるような、奇跡の出来事でした。この出来事は、神が私たちのためになしてくださった救いのみわざのことをも表しています。父なる神様は、神の御子イエス様によって、私たちを罪の奴隷から救い出し、滅びへの道から救い出す、その救いの道を開いてくださったのです。ここに、神の大きな愛が現わされています。
この大きな恵みを心に留めて、心からの感謝をおささげしたいと思います。そして私たちも神に愛されている者として、その愛を家族や周りの人々表わしていきたいと思います。