主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

コロサイ人への手紙1:1-12 「福音が実を結ぶ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。(コロサイ1:10)

【礼拝メッセージ要旨】

今日からコロサイ書をご一緒に学びたいと思います。コロサイの教会も、パウロの働きによって起こされた教会の一つです。今日の箇所の、この手紙の冒頭部分には、パウロの感謝と祈りが記されています。

1)コロサイの教会
まず、この手紙が書かれた背景について少し確認をしたいと思います。パウロが第3回目の伝道旅行の時に、エペソの町でパウロから福音を聞いて救われたエパフラスという人が、故郷のコロサイの町に帰って熱心に伝道してコロサイの教会が誕生しました。しかし、やがてコロサイの教会の中に「間違った教え」が入り込んできて、人々に戸惑いや迷いが生じます。そのことを危惧したエパフラスは、ローマの獄中にいたパウロを訪ねてコロサイの状況を報告し、助言を求めますが、エパフラスも捕らえられてしまいます。そこでパウロは、この手紙を書いてテキコに持たせてコロサイ教会に届けさせました。

2)コロサイ人のための感謝
この手紙でパウロはまず、コロサイの教会のために神に感謝をささげています(3)。彼は、まだ会ったことのない人々のことを覚えて、いつも祈っていたのです。私たちも、今会えない人たちのことを覚えて祈りたいと思います。
パウロは、コロサイの信徒たちにしっかりとした信仰と愛と希望があることを聞いて喜び、神に感謝をささげました。それらの大事なことは、彼らが「福音」を聞いたことでもたらされました。

3)福音とは?
では、「福音」とは何でしょう?「福音」とは「喜びをもたらす良い知らせ」のことです。福音は、すべての人にとって「良い知らせ」です。Ⅰコリント15章でパウロは、福音とは何か語っています。パウロが最も大事なこととして伝えたことは、イエス・キリストのことでした。イエス様は、私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、そして三日目に死からよみがえりました。このことを信じて心に受け入れる人は、神に背いていた罪が赦されて、神のものとされて、永遠に神と共に生きる者とされる、という知らせ。これが福音です。イエス様を通して、すべての人に罪の赦しと神との和解の道が開かれたのです。この福音には、人を変える大きな力があります。福音は小さく蒔かれて大きく成長する「種」のようなものです。パウロの人生が180度変えられたように、福音は私たちの心も変えて大きな喜びをもたらしてくださいます。それは、神の恵みによることです。

4)コロサイ人のための祈り
パウロは、コロサイ教会のために感謝をささげたあと、彼らのために祈りをささげています(9節~)。特にパウロが彼らのために願ったこととして、2つのことに目を留めたいと思います。

①真の知識に満たされますように
一つは、「彼らが真の知識に満たされるように」(9)という祈りです。パウロは、コロサイの信徒たちが間違った教えに惑わされないで、正しく福音を理解してほしいと願ったようです。「真の知識」とは、単に教えを知識として知ることとは違います。一番大事なことは、「神を知り、キリストを知る」ことです。それは、ただ知識として知っていることではなく、神様のことを個人的に、体験的に知ることではないでしょうか。そのために、みことばと祈りを通して主イエスと親しく交わることを切に求めていきたいと思います。その交わりを通して、主はみこころを示し、大事なことに気づかせてくださいます。

②主にかなった歩みをするように
もう一つは、「彼らが主にかなった歩みをするように」(10)という祈りです。パウロは、彼らの生活が変えられることを願いました。イエスに喜ばれるような歩みをして、「実を結ぶ」ことができるように、というのです。神を本当に知ることによって、その人の生き方が変えられていきます。ガラテヤ書5章に、「御霊の実」のリストが挙げられています(ガラテヤ5:22)。イエス様の愛に溢れていつも喜びがあって、心には平安があり、いつも柔和で自制できるようになれたらどんなにいいでしょう。でも、実際には難しいことですね。自分の力では到底無理です。それでも大丈夫です。「神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて」(11)神様に従って行く時に、神様は力を与え、私たちを助けてくださいます。弱い者でも強くされるのです。このことを覚えて、私たちも、主のみこころにかなった歩みをして、御霊の実を結ぶ者となれるように祈り求めてまいりたいと思います。

私たちにも、多くの人たちの手によって「福音」が届けられたことを覚えて感謝をささげたいと思います。そして、この福音が私たちの中でさらに実を結んで、成長していけるように祈ってまいりましょう。