主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

使徒の働き9:1-20 「目からウロコが落ちる時」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「するとただちに、サウロの目からウロコのような物が落ちて、目が見えるようになった。(使徒9:18)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、精力的に伝道旅行を行ない、多くの書簡を書き記した使徒パウロの回心の出来事から、彼の生き様や信仰について学びたいと思います。彼はどんな人物で、どのように変えられていったのでしょうか。

1)イエスに出会う前のパウロ
イエスに出会う前のパウロは、クリスチャンを迫害する立場にありました。クリスチャンを追ってダマスコまで出かけて、見つけ出しては捕らえようとしていたのです。パウロは、国際都市タルソで厳格なパリサイ派に属するユダヤ人家庭に生まれ育ちます。やがてエルサレムに移り高名な律法学者ガマリエルのもとで学ぶほど「神に対して熱心な者」でした。そんなパウロにとって、イエスは自分を神だと言い、神を冒涜する罪人であり、赦せない存在でした。彼は自分の信じる道を真面目にまっすぐに生きていました。その熱心さのゆえに教会を迫害したのです。

2)倒されるパウロ
そのダマスコの途上で、彼に人生の一大転機が訪れます。天からの光で地面に倒された時、彼を呼ぶ声が聞こえました。「なぜわたしを迫害するのか」(4)それは、彼が迫害していたイエスの声でした。パウロは混乱します。自分は自分が信じていた神を迫害していたのか?これまで正しいと信じてやってきたことが音を立てて崩れ落ちるようなことであったと思います。それまでのパウロは優等生でした。真面目で、人一倍努力家で、何でもできた人です。しかし彼は倒され、盲目にされ、何もできなくされてしまいます。人生の挫折を経験しました。彼は仲間に手を引かれ、ダマスコの町に連れて行かれます。

3)アナニヤとの出会いと回心
一方、神様はダマスコの町にいたイエスの弟子のアナニヤに語り掛けます。何と、パウロに会いに行けというのです。パウロのうわさを聞き知っていたアナニヤは最初ためらいますが、主の言葉を信じてパウロを訪ねます。そして「兄弟サウロ」と呼びかけて、彼の上に手を置いて祈りました。その時、パウロの目からウロコのような物が落ちて、彼の目が開かれます。それは、彼の心の目が開かれた瞬間でもありました。三日間の祈りの間、主はパウロに語り掛け、またアナニヤとの出会いを通して、イエスが神の子キリストであることがはっきりと分かったのです。それまで自分の思いで塞がれていた心の目が開かれました。神は、パウロの救いのためにアナニヤを用いられたのです。

そうしてパウロはバプテスマを受けて、ダマスコの教会に迎え入れられます。「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた」(20)今度は、イエスを迫害する者ではなく、イエスを人々に宣べ伝える者として働きを開始します。180度の人生の大転換が起こりました。

4)神様は私たちの心の目を開いてくださる
このパウロの回心の出来事から教えられることとして、最後に3つのことを確認したいと思います。
一つは、「神様は私たちの心の目を開いてくださる」ということです。パウロは、この挫折体験を通してイエスが神の子であることに気づかされていきました。自分には救い主イエスが必要だとはっきり分かったのです。神様は、私たちの心の目も開いてくださいます。私たちも、何か大事なことに気づけないでいることがあるかもしれません。そんな時、神様はいろんな方法で気づかせてくださいます。みことばと祈りの中で、出来事や人との出会いを通しても気づかされることがあるでしょう。そうできるように、いつも心のアンテナを神様に向けていたいと思います。

5)神様は人を用いてみわざをなさる
二つ目のことは、「神様は人を用いてみわざをなさる」ということです。神様はパウロの救いのためにアナニヤを遣わされました。そして、パウロを福音の使者として大きく用いられました。神様は、私たちのことも用いてくださいます。家庭、職場、学校、地域において、もちろん教会においても神様のご用のために、そして、家族や周りの人々の益となるように私たちを用いてくださいます。今置かれているところで、私たちにできることを祈り求めていきたいと思います。

6)私たちの人生に無駄なことは一つもない
三つ目のことは、「私たちの人生に無駄なことは一つもない」ということです。パウロがイエスに出会う前の人生経験は決して無駄にはなりませんでした。律法をガマリエルから熱心に学んだことが彼の福音理解を深めることにつながったと思います。国際都市タルソで生まれ育った経験は、異文化の人たちのことを理解し福音を届けることに役立ったと思います。また、彼の天幕作りの仕事を通して多くの人たちとの出会いがもたらされました。そのように、私たちのこれまでの人生経験も、それぞれに意味があり、これからの人生の糧とされていくのではないでしょうか。

神様は、私たちのことを覚えておられて、大事なことに気づかせてくださり、私たちの人生を導いてくださいます。そして、私たちを用いてくださいます。このことを覚えて、神様にお従いしてまいりましょう。