主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記50:1-21 「分かり合える時はくる」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。(創世記50:20)

【礼拝メッセージ要旨】

今回で創世記の学びの最後となります。この箇所には、ヤコブの葬儀と、その後に起こった出来事が記されています。このところから、ヤコブの死によってもたらされたものが見えてくるように思います。

1)ヤコブの葬儀
子どもたちを一人一人祝福し終えて、ヤコブは147年の地上生涯を閉じました。悲しみの中で、ヨセフが中心となって父のために葬儀が執り行われます。全エジプトが70日間泣き悲しみ、喪に服しました。ヤコブはそれほどエジプトで尊敬されていたようです。ヤコブの遺言通り、ヨセフはヤコブの遺体をカナンの地に運びます。その葬列にはエジプトの主だった者たちも同行し、荘厳な葬儀となりました。そうしてヤコブはヘブロンにある先祖の墓に葬られました。このところから、葬儀を行うことの意味について分かることがあるように思います。3点ほど挙げたいと思います。

①一つ目は、「十分に悲しむ時となる」ということです。故人との別れを惜しんで十分に悲しむことは、その人が癒されていくために必要なことです。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)悲しむことを通して、神様は私たちを慰めてくださいます。
②二つ目は、「故人との地上での別れを確認する時となる」ということです。葬儀を執り行うことを通して、この人はもうこの世にはいないのだと心で受け止めるようにされるのではないでしょうか。心を込めて故人を偲び、祈りをささげることを通して、地上での別れをしっかりと受け止める時です。
③三つ目のことは、「新たな歩みに向けて動き出す時となる」ということです。ヤコブの死によって一つの時代に区切りがついて、次の世代へとバトンが渡されていきました。一族のまた新たな歩みがそこから始まりました。残された者たちの新たな歩みが始動する時でもあると思うのです。

2)葬儀のあとで
さて、ヤコブの葬儀は無事終わりましたが、子どもたちの間にまだ解決されていない問題が残されていました。やがて、ヨセフの兄たちはヨセフが仕返しをするのではないかと心配します。彼らは、自分たちがした仕打ちをヨセフがまだ根に持っているのではないかと恐れていたのです。そのことを知ったヨセフは悲しみます。ヨセフは兄たちのことを赦していたのにその思いが伝わっていなかったからです。そして、兄たちに愛と配慮をもって語り掛けました(19~21)。このところから、ヨセフが示した態度として3つのことを確認したいと思います。
①一つ目は、「人のした悪も神に委ねた」ことです。どんなに理不尽なことをされても、ヨセフは個人的な恨みで仕返ししようとはしませんでした。神がすべてをご存じだという信仰に立っていたからです。正しくさばかれる神様が一番良いようにしてくださると信じて委ねました。
②二つ目は、「神のご計画に委ねた」ことです。ヨセフは、自分の身に起きた理解しがたい出来事の背後にも、計り知れない神のご計画があったと受け止めていました。それも、家族を救うために神がなされた必要なことだったと信じて委ねたのです。
③三つ目は、「兄たちを思いやった」ことです。ヨセフは兄たちを思いやり、彼らの恐れや不安を取り除こうとしました。彼は兄たちのことを「愛する兄弟」として見ていたのです。ヨセフが神様との交わりを大切にしていたからこそ、その愛を示すことができたのではないでしょうか。こうしたヨセフの姿に、私たちが教えられることが多くあるように思います。

ヨセフの言葉を兄たちは受け止めて、彼らは完全に和解し、一つのイスラエルとして12人が力を合わせて歩み出していきました。これは、ヤコブの死によってもたらされたことでした。ヤコブの祈りであり、心残りでもあったのかもしれません。

3)十字架の和解
このヤコブの死によってもたらされた和解は、イエス様の十字架の赦しにつながることのように思います。イエス様の十字架の死によって、私たちに罪の赦しと神との和解の道がもたらされました。神のひとり子イエス・キリストが、私たちの罪を代わりに負ってあの十字架で死んでくださった(神のさばきを代わりに受けてくださった)ことによって、神様はそれを信じる私たちの罪を赦してくださいます。それは、私たちの努力では決して得られない大きな恵みであり喜びです。ユダの示した自己犠牲、ヨセフの愛と配慮、ヤコブの死による和解、そうしたことのうちにイエス様の十字架の救いがすでに表わされていたようにも思います。

私たちにも注がれている神様のあわれみと、十字架に現わされた大きな愛と恵みを覚えて、心からの感謝をおささげしたいと思います。そして私たちも、愛し合い、赦し合える者となれるように祈ってまいりましょう。