主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記49:1-28 「それでもあなたを愛している」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

【礼拝メッセージ要旨】

ヨセフの二人の子どもたちを祝福したヤコブは、続いて12人の子どもたちを祝福します。ヤコブはどんな思いで子どもたちを祝福したのでしょうか。

1)12人の子どもたちを祝福するヤコブ
「終わりの日にあなたがたに起こることを告げよう」と言って、ヤコブは12人の息子たちを祝福します。これは、彼らに対する「おのおのにふさわしい祝福」(28)でした。ルベンには「水のように奔放なので」と言い、彼の欲望を押さえられない奔放さのゆえに「他をしのぐことがない」と告げます。シメオンとレビには「彼らの剣は暴虐の道具」と告げて、かつて起こした暴虐事件のゆえに「のろわれよ」、「散らそう」と宣告します。一方ユダは「獅子の子」と言われ、イスラエルの支配者となり豊かに繁栄することが約束されました。また、メシヤの預言もなされています。かつての失敗(タマル事件)のことは触れられていません。さらに、ゼブルン(海辺、船)、イッサカル(ろば)、ダン(蛇)、ガド(襲う者)、アシェル(豊かな食物)、ナフタリ(雌鹿)とそれぞれに特徴的なたとえで告げられます。そして、ヨセフには6回も「祝福」という言葉が告げられています。彼には「実を結ぶ若枝」として豊かな繁栄がもたらされ、天と地の祝福と子孫が増え広がるという祝福の言葉が与えられました。そして最後にベニヤミンは「かみ裂く狼」と告げられます。

2)祝福の言葉から見えてくること
これらの祝福の言葉から気づくことがあります。第一に、「それぞれに違う」ということです。子どもたちへの祝福の内容はそれぞれ異なります。それは、ヤコブが子どもたちのことを一人一人良く分かっていたということではないでしょうか。彼は、一人一人の性格や能力、優れているところも弱さや欠点も全部分かっていたからこそ、それぞれにふさわしい祝福を与えることができたのです。第二に、「ユダとヨセフへの祝福が際立っている」ということです。この二人には、他の兄弟たちとは違って多くのまさに祝福と言えるようなことが告げられています。そして第三に、「必ずしも良い言葉だけではない」ということです。「祝福」の言葉にしては、とても祝福とは思えないような叱責の言葉や願いたくないような言葉も中には見られます(ルベン、シメオン・レビ、イッサカルなど)。それでも、これらは彼らに対する「祝福の言葉」でした。それがどうして「祝福」なのでしょうか。

3)これらの言葉に込められたヤコブの思い
ここで、この時のヤコブの思いを想像してみたいと思います。彼は、息子たちを比べて評価していたのでしょうか。そうではなく、ヤコブは、息子たちのことをみんな同じように愛していたのだと思います。どんなに手の焼ける息子であっても「愛する我が子」でした。彼は、息子たち一人一人をずーっと見てきて、彼らの良いところも悪いところも分かっていました。そして、本当に彼らを愛していたからこそ、彼らにとってどうしても必要なことを伝えたかったのではないでしょうか。彼らの現実の姿を受け止めて、あえて厳しいと思えることも語ったのです。それほど彼らのことを心配していました。実は、これらの祝福の言葉には、ヤコブの子どもたち一人一人に対する深い愛情が込められていたように思います。「それでもあなたを愛している」これがヤコブのメッセージであったと思うのです。

4)神様の私たちへの思い
この12人の息子たちの姿は私たちの姿でもあるように思います。ヤコブがどの息子をも愛したように、神様は欠けだらけの私たちのことをこよなく愛してくださいます。私たちは一人一人違います。私たち自身の中にも様々な側面があります。神様は、そんな私たちのことを全部分かっておられて、その上で、私たちのことをかけがえのない尊い存在として大切にしてくださいます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)弱さや欠点をもつ私たちのことを「それでもあなたを愛しているよ」と言ってくださるのです。そして、私たちを祝福してくださいます。時には恵みとは思えないようなこともあるかもしれません。それでも、それも神様が私たちに必要なこととして与えてくださる恵みなのです。

 私たちに対する神様の大きな愛は、イエス・キリストの十字架によって実現しました。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」(Ⅰヨハネ3:16)それほどまでに、私たちは神様に愛されています。このことを覚えて感謝をおささげしましょう。そして、これからも、イエス様に信頼しながら、神様の愛の中を一歩一歩歩み続けてまいりたいと思います。