主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記48:1-16 「祝福を祈る」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。(創世記48:15,16)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、ヤコブが人生の最後に行ったことが記されています。彼は、自分の死に臨んで何を願い、何をなしたのでしょうか。

1)ヤコブが死に臨んで願ったこと
ヤコブはエジプトに移り住み17年間、147歳まで生きることになります。多くの子孫に囲まれて幸せな晩年を送ったようです。彼は、いよいよ自分の死が近づいていると悟った時に、自分の体をカナンの地の先祖の墓に葬ってほしいとヨセフに願います。そして子どもたちを祝福することを願いました。

2)エフライムとマナセがヤコブの子とされる
その後、病に伏していたヤコブをヨセフが二人の息子たちを連れて訪ねて来た時に、ヤコブは最後の力を振り絞って床に座わり、ヨセフにあることを告げました。かつてベテルで神が「あなたの子孫を祝福する」という祝福の約束を与えられたことを伝え、ヨセフの息子たちであるエフライムとマナセをヤコブ自身の子とすると告げたのです。それは、彼らにヤコブの息子たちと同じ身分を特別に与えたことを意味します。
そしてさらに、他の子どもたちよりも先にこの二人を祝福し、ヤコブの長子の権利をヨセフの子に与えようとしました。「長子の権利」は、神様の祝福を受け継ぐことを意味します。しかし、必ずしも長男だからと言って長子の権利を受け継いだわけではありません。イサクもヤコブも長子ではありませんでした。このヤコブの祝福を誰が受け継ぐのか、子どもたちの間でも関心があったでしょう。そして何と、その大事な祝福がヨセフの子に移されたのです。全く予想外の展開となりました。

ちなみに、マタイ1章にある「イエス・キリストの系図」によると、ヤコブの後にはヨセフではなくユダの名が連なっています。聖書は、長子の権利はヨセフの子に与えられたけれども「君たる者」はユダから出ると説明しています(Ⅰ歴代誌5:1,2)。ユダは救い主の先祖となる祝福を受けましたが、長子の権利という祝福はヨセフの子が受け継ぐことになりました。

3)神の子どもとされる祝福
そうして、本来ヤコブの子としての資格を持たなかったはずのエフライムとマナセがヤコブの子とされました。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)このみことばが思い起こされます。私たちも、神の子とされるような資格のない、弱く罪深い者であったにもかかわらず、イエス様の十字架の愛によって「神の子」(神のもの)とされました。神様は、私たちの能力や行いによらず、ただ、信実な神様のあわれみと恵みによって、私たちを神の子どもとして受け入れてくださるのです。

4)弟エフライムが長子とされた
さて、こうしてヨセフの二人の子どもたちがヤコブの祝福を受けることになり、ヨセフは長男のマナセをヤコブの右に、次男のエフライムを左に向かわせます。ところが、ヤコブはわざわざ手を交差してエフライムの頭に右手を置き、左手をマナセの上に置きました。何とヤコブは、次男のエフライムを長子として祝福したのです。ここでも逆転が起きました。後の時代、エフライムは北イスラエルを代表する部族となっていきます。このことからも神様のご計画が人の思いをはるかに越えたところにあることが分かります。

5)ヤコブの祝福の祈り
ヤコブは、この二人の子どもたちのために祝福の祈りをささげました(15,16)。「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」ヤコブはこれまでの147年の人生を振り返って、主が片時も離れずに守り、助け、導いてくださったことを感謝を込めて告白しています。私たちの人生においてもそうではないでしょうか。私たちが神様のことを知らなかった時も、忘れてしまっているような時にも、神様はそばにいてくださいました。これからもそうです。このことを覚えて感謝をおささげしたいと思います。

「この子どもたちを祝福してください」ヤコブは、この私を祝福してくださったようにこの子どもたちを祝福してくださいと祈りました。シンプルな、しかしとても大胆な祈りです。ヤコブは、これが自分の人生の最後に子どもたちのためにしてあげられる一番大事なことだと考えたのではないでしょうか。「人のために祝福を祈る」ということは、とても大事なことです。

私たちも人のために祝福を祈る者となりたいと思います。私たちも、誰かの祈りがあってイエス様に出会えたように、私たちでなければ祈れない人たちもいます。そうした人たちのために、「神様、どうかこの人を祝福してください」と大胆に祈っていきたいと思います。愛する家族のために、一緒に働いている仲間のために、地域の人たちのために、神様の祝福を求めて祈り続けてまいりましょう。