主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヘブル12:1-3 「人生を走り抜く」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(ヘブル12:1)

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、召天者記念礼拝に関連してヘブル12章から開きました。このところから、「人生を走り抜く」と題してご一緒に思い巡らしたいと思います。

1)神は一人一人の人生を覚えておられる
ヘブル人への手紙は、ユダヤ人からクリスチャンになった人たちを励ますために書かれた手紙です。11章には、旧約聖書に登場する「信仰に生きた人々」のことが紹介されています。彼らは、神を信じる信仰によって生き抜いた人たちでした。この中には、苦難のうちに地上生涯を閉じた多くの名も無き人たちもいます。神様は彼らのことも覚えておられ、ここに記録されたのです。

そのように、神様は一人一人の歩まれた尊い人生をしっかりと覚えておられます。なぜならば、神様は私たちを造り、いのちを与えてくださったお方だからです。お造りになられた一人一人のことを愛し、心に留めて、その人の人生を導いてくださいました。たとえ人の記憶から忘れられてしまうことあっても、神様は決して忘れることはないのです。このことを覚えて感謝をおささげしたいと思います。

2)人生はマラソンレースのようなもの
11章で信仰に生きた人々のことを紹介して、12章では、自分の人生をこのように歩んでいきなさい、という勧めがなされています。「私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(1)聖書は、信仰の生涯をマラソンレースに例えて説明しています。私たちの人生は、どうしてマラソンレースのようなものだと言えるのでしょうか。次の4つの点を挙げたいと思います。

①「目指すべきゴール」があります。
私たちの目指すべきゴールはイエス様です。一生涯を通して、イエス様に似るように人として成長していくことが私たちの目指すべきゴールではないでしょうか。

②「走るべき道のり」があります。
私たち一人一人に、走るべき人生の道のりが与えられています。その道のりは人によって違います。でも、その人に合ったふさわしい道のりが与えられているのだと思います。

③「捨てるべきもの」があります。
「一切の重荷とまつわりつく罪とを捨てて」(1)とあります。マラソン選手は、体を少しでも軽くするために食事を制限するそうです。私たちも、長い人生の歩みの中で「捨てるべきもの」があるというのです。「重荷」(思い煩い)は一切神に委ねましょう(Ⅰペテロ5:7)。また、まつわりついてくる罪への誘惑は、意識して手放すこと、物理的に離れることです。人生のマラソンレースには本当に忍耐が必要です。しかし、私たちは一人で走るのではありません。

④「応援してくれる人たち」がいます。
「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから」(1)先に召された信仰の先輩たちが雲のように私たちを取り巻いている、というのです。目には見えない無数の信仰者たちが私たちの人生の歩みを応援してくれているのです。とても励まされる思いがします。
励まし合う仲間がいることは本当に素晴らしいことです。私たちもお互いのために祈り合い、励まし合ってまいりましょう。

3)イエス様から目を離さない
最後に、人生のマラソンレースを走り抜くために大切なこと、その秘訣と言えることについて確認したいと思います。それは、「イエス様から目を離さない」ことです。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(2)イエス様は、「信仰の創始者」として私たちの先を行く先達となってくださいました。イエス様は、私たちが出会うどんな困難も苦しみもすべて経験され、私たちの初穂として死からよみがえられました。私たちはこのイエス様のあとをついていけばいいのです。神様は、私たちが疲れ果ててしまうことのないように、イエスのことをいつも考えていなさいと励ましておられます(3)。イエス様も、私たちの少し前を一緒に走っておられて、「ここまで来なさい」と励ましておられるように思うのです。

イエス様がいつも共にいてくださる。このことを忘れずに力をいただきたいと思います。そして、イエス様から目を離さないで、私たちに与えられている人生のレースを忍耐をもって最後まで走り抜いてまいりましょう。